港と宿場の交差点…白壁のまち『塩田津』を歩く

佐賀県
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塩田川の川港、そして長崎街道の宿場町だった塩田津。
古き良き町並みを求め、散策は続く。

この辺で、塩田津が水運で栄えた理由についてさらっと触れておこうと思う。

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川港「塩田津」の繁栄

松尾家(江戸末期)

天草から運ばれてきた陶石が塩田津で荷揚げされ、陶土にしてから陸路で有田や伊万里へと運ばれて行った。
そして帰りの船には焼き物や米などが積まれ、大坂などの各地へ。

江口家(天保11年)

佐賀と言えば“陶磁器発祥の地”と呼ばれる焼き物王国。その原料の仕入れと出荷という、極めて重要な役割を担ったのがここ塩田津だったというわけだ。

 

そんな塩田津も、大正から昭和へと時代が移ろう中、鉄道や車へと輸送手段がシフトして行き、さらに大規模な氾濫によって塩田川が付け替えられたことで昭和51年に川港としての役割を終えた。

そんな昔日の栄華を今に伝えるのが・・

かつての荷揚場だった「御蔵浜」。現在は駐車場になっている。
目の前を流れるのが“旧”塩田川である。

 

そしてこちらが陶石の集荷施設として昭和24年に建てられた旧検量所。
昭和39年にはこの場所にクレーンが設置され、のちに車ごと重量を量る検量所もできた。

右隣には、旧検量所とともに「塩田津町並み交流集会所」となっている旧下村家住宅。

ここは一般公開されているので見学したい方は是非。

 

到着時点ですでにお昼を回っていたので、ついでにここで食事して行くことにした。

と、入ったのがこちらの「Vegeキッチン塩田津」さん。
築222年の居蔵家を活用した、地産地消型の食堂。

ご主人から話を伺うと、さっき人が少ないと思ったとおりやはり集客に悩まれているとのこと。
あと、まちおこしの方面では市の担当者があまり熱心でなく、住民との温度差があるそうで。

色々難しいんだなぁと。
アイデアを求められたけど洒落たことは思いつかず…。

ごめんなさい。。

豚の生姜焼きをほおばりながら町おこし、地域活性化の難しさについて本気で考えさせられた塩田津は、ある意味でとても思い出深い場所となった。

 

本業か副業かはさておき、いつかその分野で何かしたいなぁとずっと前から漠然と思っている身としては、この日の出来事は絶対に忘れまいと深く心にしまい込むことにした。

歩いて調べるのも大事だけど、やっぱり現地で聞く生の声ほど大事なものはないな、と。
以上、そんなことを思った塩田津の町並みでした。

[訪問日:2018年8月12日]


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