「有田」と聞くと関西人はみかんを連想するかもしれないが、今日お伝えしたいのは和歌山ではなく佐賀の有田である。(ちなみに和歌山は「ありだ」、佐賀は「ありた」)
『有田焼』で知られる佐賀の有田は、日本における磁器発祥の地として知られており、今でも趣深い当時の町並みが残っている。
上有田駅から有田駅の手前までの約2km、皿山通り沿いの内山地区に古い町並みが残っている。
クルマを停め、ちょうど中間地点にあたる「札の辻」交差点から散策を開始した。
有田焼の歴史
有田は日本で初めて磁器生産が行われた土地で、その歴史は戦国時代にまで遡る。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に朝鮮から多くの陶工を連れて帰り、そのひとり李参平が有田の泉山で原料を発見したのが始まりとされる。
江戸初期から磁器生産が盛んとなり、「有田千軒」と呼ばれるほど大層賑わった有田。
ところが、1828年(文政11年)の大火でそのほとんどが焼けてしまうが、その後の復興でつくられたのが今の町並みということになる。
そんなわけで、内山地区には江戸、明治、大正、昭和に建てられた様々な商家が立ち並び、そのサイズ感も相まってめちゃくちゃ重厚な町並みを形成している。
言葉はいらない。見たらわかるんです。
どうです?このアングルから。めっちゃカッコいいでしょ。
ただ、この日は生命の危機を感じるほどの暑さだった。。
確か最高気温が40度に迫りそうなほどの日で、歩いたのが一番暑い時間帯だったこともあって。まち歩きをしてて初めて本気で「ヤバい」と思った。
そんな命がけで撮った写真たちなので、何か伝えることができれば嬉しい次第です。
この有田内山地区の町並みは1991(平成3)年に伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)になってるんだけど、種別がオンリーワンの「製磁町」。
陶磁器生産で有名なまちは全国探せば結構あるので今後増えるかもわからないけど、現時点ではここだけ。
建物はここまで見てきた通りで、白漆喰、黒漆喰の塗籠造りのものが多く、妻入りと平入りがおおよそ7:3ぐらいの割合。
建物そのものがかなりでかいので、妻入りだけになおさら強烈なインパクトを感じる。
で、どの建物も入口付近にこのプレートが貼ってある。もちろん有田焼でしょう。
さすがは磁器の町。
看板建築風味な三階建て。
色んな建物があるので見ていて飽きない。
2kmという距離と暑さのせいで表通りだけで精一杯だったけど
こんな感じで、直交する路地も風情があって良き。
上有田駅の入口付近まで来たので左へ折れ、坂を登る。
適当なところで山側へ曲がり、歩いて行くと小さな煙突がかわいい焼き物工房があった。
ふぅ・・暑い(泣)
なんの苦行なんだこれは。。
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