関東あたりの感覚だと、「福岡市」だといまいちピンと来なくて、「博多」と言われたほうが意味が通じる。そういう人が多い気がする。
そんな福岡県の県庁所在地、そして九州最大都市、福岡市。
来たことも数えるほどしかなく、ましてやまともに歩いたことは一度もなかったので、土地鑑はゼロ。
そんな博多を、Googleマップを頼りにまる一日ガッツリ歩いたので、思い出しながらぼちぼち書き綴っていこうと思う。
三角市場
と言っても、先述のとおり行く前は右も左もわからなかったので、福岡のレトロ、珍スポでは右に出る者はいないY氏は暇人のY氏におすすめスポットをいくつか教えていただきました。(その節はありがとうございました!)
そのうちのひとつが、渡辺通二丁目にある三角市場。
前夜の宿が薬院の近くだったので、まずは徒歩圏内のココから攻めることに。
確かに年季は入ってそうだけど、見た目はそんなにインパクトないなぁ・・なんて思いながら中に入ると
うおおおおおぉぉすげえぇ
↑語彙力w
福岡市中央区の公式サイトにココの紹介文が載っている。
もともとは渡辺通一丁目の三角の土地にあった商店街が、昭和25年に現在の場所に移転したそうですが、名前はそのまま三角市場に。
壁にも本のコピーと思われる紙が貼ってあって、もう少し詳しくここの歴史を知ることができる。
移転前の市場は、終戦翌年に引揚者や戦災被害者が始めた闇市が前身だったそうだ。
「三角市場」は、一階に、店舗用として間口一間半、奥行き二間の区画が三十六軒分用意され、二階はそれぞれの店の家族の住居であった。住居スペースは、各戸、六畳一間と押入れのみであり、ここで子ども五人のいる家族が暮らしている場合もあった。
六畳一間で一家7人が生活・・
まさに絵に描いたような昭和・・
昭和25年ってことは1950年だから、今年で70周年。
焼肉屋や飲み屋、バーからうどん屋まで飲食店がギッシリと入り、個性的な店揃いでここへ通うファンも多いんだとか。
わかります。福岡に住んでたら絶対通ってます。
突き当たりで右手へと折れ、もうひとつの入口へとつながる。
しびれるなぁ、この雰囲気。
現在の三角市場についても言及されており、建物こそ昭和25年当時の木造建築だけど、店の入れ替わりはだいぶ進み、また、二階は住居ではなく各店舗の物置などに使われているそうだ。
平成3年前後には地上げの対象になりかけたが、当時の店主たちが抗ったために今日まで生き残った、と。
やっぱりあったのか、そりゃそうだよな、こんな一等地だもん。
ここへ来る人たちにはおそらく雰囲気がウケてるんだろうけど、それ以前に“戦後の木造アーケード”がいかに貴重かっていう話で、建造物としても相当価値の高いものであることは確か。
横から見た三角市場。
外観はね、外観だけは新しいんですよ。
だから、中とのギャップが余計際立つんだろうけど。
一度、浴びるようにここで酒を呑みたい。
決めた。今度博多に行くときは、絶対そうしよう。
皆さんも、博多を訪れた際は是非「三角市場」へ。
[訪問日:2019年1月2日]
コメント