崖上の道もなかなかの狭小っぷりだった。
クルマの侵入などはなから許す気はなさそうな路地である。
“嫖客専用道路”と書かれていても首肯できてしまいそうなほど妖しさに満ちた路地は、おあつらえ向きにカーブして先が見えなくなっていた。
着いた。ここだ。
「くつわ小路」と名付けられた、かつての青線である。
くつわ小路
なんて妖艶な建物なのだろうか。
こんな隠れ里のような“遊び場”が遊郭の近くにあったなんて。
熱くなるなと言われてもそれは到底無理な注文である。
唯一屋号が残された小料理「みさと」。
ありったけの“サービス”をしてくれそうな名ではないか。
階上、壁の向こう側では、それこそ雨の日も雪の日も黙々と男女の営みがくり返されて来たのだろう。
それこそ、長い歳月を経ても、時の流れぐらいではどうにもならないほどの情念が染み付いているかのようだった。
長野県のそれを見たのはずいぶん久しぶりだった。
そう言えば兵庫や和歌山と似ていたな、そんなことすら忘れていた。
建物の間の僅かな隙間、異界から崖下へと誘うように階段が伸びていた。
まるで薄氷を踏むかのような危うい場所に立っていることを改めて理解した。
実は川向こうからこちらを見ると、先ほどのバラックと似たような光景を拝めることを後から知った。
今から遡ること70年余り。
1947年(昭和22年)の4月に、飯田市では大火が起きている。
市街地の4分の3もの面積を焼き尽くす凄まじい災害となったが、遊郭があった二本松はこの高低差に救われて災禍を逃れたそうだ。
当時くつわ小路があったかどうかは知らないが、今立っている場所がそういう歴史の元に成り立っていることを思うとなんとも感慨深い。
それもあって、二本松遊郭の妓楼は2000年代初頭まで残存していたそうだ。
詳しくはWikipedia等を参照されたい。
くつわ小路を抜けたあたり。
川向こうに見えるのが市街地方面。おそらくはすべて大火後に出来た建物であろう。
これで見たいものは見れた。帰ろう。
二本松の西方、「仲ノ町」には大火を逃れ登録有形文化財になっている建物がある。
1938(昭和13)年に建てられた『下伊那教育会館』。
マンサード屋根が特徴的な、二階建て洋風建築である。
今でも現役で使われていると言うのがいい。
是非中を見てみたいものである。
教育会館の少し先にはこんな木造住宅が。
戦前じゃないかと思うんだけどどうなんだろう。
いずれにせよ、かなり貴重な建物であることは間違いない。
飯田編、終わり。
[訪問日:2019年8月14日]
コメント
はじめまして。この前、飯田市内を歩いてたら、たまたまカフェーの鑑札を見つけました。飯田市内に赤線は存在したみたいです。
情報ありがとうございます。行く機会があれば調べてみます!