朽ちゆく栄華の記憶。九州最後の炭鉱の島「池島」訪問記

長崎県
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2001(平成13)年に閉山した池島は、1970年頃には7,700人もの人口がいたが、閉山当時は約2,700人。

それから18年が経った2019年10月当時、131人と最盛期の実に20分の1となってしまったもののまだ住んでいる方はいる。

そんな池島の風景を、この目に焼き付けておこうと思ってぶらぶらと歩き出した。

池島はざっくり東西で分けると、東半分に港と炭鉱関連施設が集中し、西半分には住宅が集中する。

余談だが、港がある入り江はかつては「鏡ヶ池」と言う池で、炭鉱開発のために開削して港に整備された。島の名前もここから来ている。

素晴らしい秋晴れだった。
緩やかな坂道を上ると、最初の見どころが姿を現した。

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旧火力発電所

池島は海底ケーブルで電力を賄っていたが、それとは別に発電施設と海水を真水に変える造水設備を備えていた。

朽ちまくってすっかり風化が進んでいる。

採掘した石炭を燃やして発電する。まさに究極の自給自足である。

なおも坂道を上ると、ぽつぽつと住宅が見えてくる。

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炭鉱時代の居住区へ

郵便局がある角を折れると、かつて繁栄の中心を担ったであろう場所が目の前に現れた。

なんとボウリング場まであった。炭鉱の仕事が休みの日にはきっと家族連れで賑わったことであろう。

だが、その場所はもう完全に死んでいた。

まるで、疫病で全滅した村のようだった。
粉々に打ち砕かれた現実感は頼りなく、目の前の惨状にただ言葉を失うしかなかった。

ここには確かに人の営みがあった。
少なくとも20年前、閉山直後はまだいくらかのお店は営業していたそうだ。

すべての出来事は過去のものになり、未来への希望を放棄したこの場所は今後どこへ向かうのだろうか。

人の温もりが消えた集落を歩いていたら、寂寥感が澱のように胸底へと沈んでいった。
なぜこうも哀しくなるのだろうか。

閉山からみるみる人口が減っていった池島は、今や猫のほうが多いと言われるほど猫が多い島である。

港付近でも数匹出くわしたが、このあたりでも群れをなして生活している様子だった。
一体どうやってメシを食ってるのだろうか。

一階が商店街、二階が住居と言った趣きの長屋が並んでいたがとうに廃墟になっていた。

その先に池島小中学校がある。

Wikipediaの情報によれば、2015年に中学校が休校。2016年現在、児童1名が在籍中とある。
これ以降状況が変わっていないとすれば、来年か再来年ぐらいには完全休校、ないしは廃校になってしまうだろう。

広大なグラウンドだけが、かつて大勢の子どもたちが駆け回ったであろうことを今に伝えていた。

 

いよいよ、池島最大の見どころへ迫る!

(3ページ目へ続く)

コメント

  1. マキ より:

    そうですよね。長崎は夏場になれば夜8時くらいまで明るくて、子どもは遊びほうけて、親から「はよ、帰らんね!」って呼ばれるんです。その分、朝の夜明けは遅いですが。書かれているように、島に残った人はそれぞれ、事情があるのでしょうね。

    • machii.narufumi より:

      そうなんです。私は本州しか住んだことないので、九州に行ったときの日没の遅さには驚きました。
      100人いれば100通りの生き方があります。人間模様は色々ですもんね。

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