最後に、島の外周道路を伝って港へと戻った。
東半分にはツアーで潜った体験坑道も含め、炭鉱関連施設がよく残っている。
坑内から上がった石炭をベルトコンベアに受け渡す部分。
先端は海の手前まで伸びていた。
海の向こうには西彼杵半島がよく見える。
そしてこれが貯炭場の石炭をベルトコンベアに乗せるジブローダー。
ようやく港まで戻ってきた。
左手、壁の上が選炭工場。
工場の一部なのか、一階にはむき出しになった廃墟が続いていた。
滞在時間がもっとあれば、一眼レフ持ってきてガチモードで撮影したかった(この日はいつものミラーレス)。今となってはちょっと悔やまれる。
製品になった石炭を運搬船に積むためのシップローダー。アームの先端をトリンマーと呼ぶ。
かつては選炭工場とコンベアで繋がっていたが、2014年頃に撤去されてしまったそうだ。
池島はハイレベルな被写体がそこかしこに転がっているので、写真撮るのが好きな人であれば無限に撮影できてしまう。
余談だが、筆者は上陸してから島を出るまでの間に250枚ほど撮っていた。(これでも3分の1ぐらいに絞っている)
池島は近年人気があって人が結構来るそうだが、この日は3連休の中日と言うこともあってか特にツアーなどは少なくとも20人はいたと思う。
ただ、小さな島なので車を持ってきている人は皆無に近かった。(そもそもガソリンスタンドがない)
じゃあ歩いて観光かと言うと、不思議なもので散策中もほとんど人に会わなかった。
おそらく、ほとんどの人がツアー目的なのだろうと思う。
特に午前中の場合は、オプションの島内見学で炭鉱住宅に入れるのでこれ目当ての人も結構いる気がする。
さて、“シップローダーおよび選炭工場の関連廃墟群”(今適当に命名したw)を眺めたので、名残惜しいけどこれで池島観光もほぼ終わった。
さぁ、帰ろう。
最後に悲劇が待っていた
池島港16:45発の船で神浦に戻る予定でいた。
1本前の15:47が出るところを見送り、ちょうどあと1時間あったのでもうちょい港付近をぶらぶらしてからフェリー乗り場に行った。
筆者「神浦まで」
売り場のお姉さん「もう今日は終わりましたよ」
…はぃ?
「え、16:45って書いてありますけど」
「あ、それ今日運休ですよ」
…ちょっと何言ってるのかよくわからない。
もう一度時刻表を見る。
16:45の船種は「進栄丸」とある。
進栄丸(地域交通船)
第2、第4、第5日曜日は運休です。
あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ
\(^o^)/オワタ
この時点で、本土に戻る術が自動的に17:00発の瀬戸港行きフェリーに決まった。
瀬戸~神浦はバスが出ていること、バス停の場所、バスの時刻などをお姉さんが親切に教えてくれた。
とりあえず、少し待てばバスに乗れることがわかって安堵した。
(くり返すが、瀬戸~神浦は10km離れてるので歩いたら頑張っても2時間はかかる)
この日は佐世保で宿を取っており、このあとハウステンボスに夜景撮影に行く予定を立てていた。
・・間に合うのか?
まぁ、ダメならダメで仕方ない。完全に自分のミスだったのでもう開き直るしかなかった。
売り場の兄ちゃん(たぶん夫婦だと思われる)がやたらと話しかけてくるので船が来るまで雑談しながら過ごした。
話の中で印象的だったのが、最近池島はイノシシが出没していわゆる獣害があること。そのイノシシは海を泳いで渡ってきたと。
その後、他の離島でも同じような話を聞き、イノシシが海を渡る動物だと知った。
すごいな、イノシシ。
まさか行きと違う港に戻ることになるとは思わなかった。思い出としてはその部分が強烈に残っているが、それを差し引いても池島は魅力的な島だった。
近代日本の石炭需要を支えた海底炭鉱の島。
炭鉱住宅を含む産業遺産群は、朽ちてはいたが確かな輝きを放ちながら島の歴史を静かに物語っていた。
船の上、感動の余韻と大いなる失敗が混ざり合ってぐっちゃぐちゃな感情だった。
瀬戸港からは無事バスに乗れ、当初の予定から1時間半も遅れて神浦に戻った。
日没が遅い長崎でも、あたりはすっかり日が暮れていた。
バスで来た道をまた戻る羽目になったが、道中、ふと海上に目をやると闇にのまれていく池島の島影がはっきりと見えた。
さっきまでいた池島港の明かりを遠くに眺めていたら、なぜか涙が出そうになった。
[訪問日:2019年10月13日]
コメント
そうですよね。長崎は夏場になれば夜8時くらいまで明るくて、子どもは遊びほうけて、親から「はよ、帰らんね!」って呼ばれるんです。その分、朝の夜明けは遅いですが。書かれているように、島に残った人はそれぞれ、事情があるのでしょうね。
そうなんです。私は本州しか住んだことないので、九州に行ったときの日没の遅さには驚きました。
100人いれば100通りの生き方があります。人間模様は色々ですもんね。