住友を生んだ山。『別子銅山』へ観光に行ってきました

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瀬戸内海に面した愛媛県の新居浜市。ここに、国内屈指の産出量を誇った別子(べっし)銅山がある。
いや、既に閉山しているので“あった”というほうが正しいが、今は観光スポット「マイントピア別子」として整備されている。

市街地から10km足らずで行けるアクセスの良さも魅力の別子銅山に立ち寄った。

観光坑道や展示施設、レストランの他天然温泉まで備えたマイントピア別子。
さらには道の駅も兼ねている。

なにこれ。充実しすぎだろう…。

鉱山観光は1,300円。

内容的には鉱山観光列車に乗って観光坑道を徒歩で見学という、鉱山跡ではおなじみのメニュー。
ちょっと変わってるのが、電車が坑道までは行ってくれなくて、最後は自分で歩くというw

マイントピア別子の公式キャラクター「銅太(どうた)くん」。

まるでその辺の山に山菜採りにでも行くかのような緩みきった顔をしている。油断したらエレクトリカルパレードでも流れてきそうな雰囲気である。

鉱山の過酷さみたいなものは1mmも伝わってこない。。

こんな景色を楽しみながら観光坑道の入口へ。

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観光坑道へ

正式には「端出場(はでば)坑道」と呼ぶようだ。
早速中へ入ってみよう。

間接照明を効果的に使ったアプローチ。
探検気分が高まってくる。

なるほど。時代で分かれてるのかな?
このあたりは足尾銅山と一緒のようだ。

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別子銅山が開坑したのは江戸時代、元禄4(1691)年。
実はそのときの坑道は海抜1100m。ここよりはるか上のほうにあった。

そんな高いところに数千人もの人々が暮らす、さながら空中都市とも言える鉱山町があったのだ。
今、「旧別子」と呼ばれるその場所は、数々の鉱山遺跡が眠る静かな山中に戻っている。

そのまま歴史の話を続けると、別子銅山は大別すると3つの通洞(≒坑道)があり、上から下へ、時代とともに下がってきた。

この観光坑道がある「端出場」は標高156m、最も後期の坑道である。

砕女(かなめ)小屋

江戸時代は砕女と呼ばれる女性たちが金づちで鉱石を砕いていたんだって。
いやー、大変だわこりゃ。。

このマネキン、、ちょっとガースーに似てない?
覇気のないところが特にw

仲持ち、つまり運び屋。
下山時は銅を運び、戻ってくるときは米や味噌なんかを持って帰ってくるんだって。

 

突如現れるジオラマ。
鉄道が敷かれた時代の別子を再現したもののよう。

その先には、別子銅山の歴史を学べるコーナー。
こちらは旧別子の説明。

昭和30年頃の端出場の様子。

なんか、似たようなのを池島で見たな。すごい既視感を感じる…。

長くなってきたのでここらで区切ります。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. 定マニア より:

    私が別子銅山のことを知ったのは、緒形拳さん主演の「薄化粧」という映画でした。別子銅山ダイナマイト爆殺事件というのが基になっている映画です。まだ取り壊されていなかった、労働者の長屋で撮影されていただけでなく、今は無くなった京都の橋本遊郭の建築が多数あって貴重です。特に三連アーチ窓のある建物が好き。ついでに言うのもなんですが、緒形拳さんと竹中直人さんて、五社英雄監督の作品とセットになっているのか?と思うくらい出演していますね。遊郭ものもセットでしょうか。これは、監督自身通っていたせいかな?

    • mast-mo より:

      浅学にして、別子でそんな事件があったことも映画「薄化粧」も初耳でした。
      調べてみると、実話に基づいた映画のようですね。しかも、橋本のみならず五番町の千本日活まで登場すると・・
      これはもう絶対観なければ。

  2. 定マニア より:

    追記 ノンフィクションで見る戦後犯罪史で検索すると、昭和20年~昭和25年のところに紹介されています。
    西村望さんの作品です。立風書房の「虫の記」という本は、この事件についても書かれているのですが、この人って一体・・・となぜか笑えることが盛りだくさんの本です。古本屋でないと入手できませんが、機会があったら読んでみて下さい。

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