住友を生んだ山。『別子銅山』へ観光に行ってきました

愛媛県
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江戸時代に開坑した別子銅山。
1973(昭和48)年の閉山まで、282年という長きに渡り実に65万tもの銅を産出した。

これは、銅山では足尾に次ぐ第二位の記録である。

観光施設「マイントピア別子」として生まれ変わった別子銅山の観光坑道を引き続き見て行こう。

江戸ゾーン、近代ゾーンの次は『遊学パーク』。
銅山で行われていた作業を遊びながら体験できるキッズ向けコーナー。

楽しめるって意味ではいいのかなって思うけれど、ちょっとゆるすぎやしないかw
鉱山で遊園地みたいなテンションはさすがにどうかと・・

削岩機で遊ぶ子供たち。
お前らなぁ、実際の鉱山は生きるか死ぬかっていう過酷な環境だったんやで!

次に出てきたのは、不敵な笑みを浮かべる仲持ちさん。
女性は30kg、男性は45kgの荷物を背負って険しい山道を歩いていたんだけど、その重さを体験できるというコーナー。

もうこの距離感ですでに怖いんだけど、臨場感をお伝えしたいのでもうちょっと近づいてみましょう。

 

ひいいぃぃぃ((((;゚Д゚)))

口は笑ってるけど目がまったく笑ってない!!

 

こんなアスレチックがあるとここが銅山の坑道であることをうっかり忘れそうになるな…。

シリアスなのかコミカルなのか路線がよくわからなくなってきた。

イェーイ!山菜いっぱい採れたぜ~!!

佐渡金山、石見銀山、足尾銅山。そして池島炭鉱と、同じように坑道見学できる鉱山へ色々行ったけど、率直な感想を言えば別子銅山が別の意味で一番鉱山っぽくなかった(笑)

という訳で、最後は真面目な話をして締めようと思う。

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住友財閥と別子銅山

打除鉄橋(明治26年、登録有形文化財)

別子銅山の鉱脈を確認し、採掘を始めたのは実は住友家で、そのルーツは戦国時代、京都で銅製錬を始めたことに遡る。

江戸時代には岡山の吉岡銅山の経営に乗り出し、海外から導入した精錬技術を用いて産出量の飛躍的な向上に成功。
この実績を幕府から認められ、別子銅山の経営を任されたのである。

第四通洞(大正4年完成の坑道)

以後、閉山まで一貫して住友家が経営を続け、銅山から多くの関連事業が興った。
住友グループが日本を代表する財閥に成長できたのは、他ならぬ別子銅山のおかげなのだ。

ちなみに新居浜市はもっぱら工業都市としての顔を持っており、それはもちろん住友グループの企業城下町としての顔。
住友金属鉱山、住友化学、住友重機械工業などのグループ各社が市内にひしめき合って存在している。

住友グループの迎賓館「泉寿亭」(昭和12年)

あぁ、そう言えば帰りは電車の待ち時間があったので徒歩で戻りました。
第四通洞や泉寿亭は鉱山鉄道で往復すると見学できませんので。

別子銅山と新居浜、住友の歴史を紐解くとマイントピア別子はほんの一部分であることがよくわかる。
鉱山のみならず、精錬所や鉱山鉄道、市街地には社宅なんかも残っている。さらには、煙害対策で精錬所ができた四阪島など鉱山の関連遺産は新居浜近辺だけでも枚挙にいとまがない。

 

今回は時間の都合で行けなかったが、大正時代から昭和初期まで別子銅山の中心だった東平(とうなる)地区には選鉱場や変電所跡が残っており、その姿から「東洋のマチュピチュ」などと呼ばれている。

端出場エリアから10kmほど山道を上る必要があるが、併せて行ってみてはどうだろう。

日本を代表する巨大銅山。
ひとつの財閥が産業をつくり、まちをつくり、長きに渡って我が国の近代化を支えた。

そんな歴史が詰まった別子銅山は、とても魅力的なところだった。

[訪問日:2019年12月29日]


コメント

  1. 定マニア より:

    私が別子銅山のことを知ったのは、緒形拳さん主演の「薄化粧」という映画でした。別子銅山ダイナマイト爆殺事件というのが基になっている映画です。まだ取り壊されていなかった、労働者の長屋で撮影されていただけでなく、今は無くなった京都の橋本遊郭の建築が多数あって貴重です。特に三連アーチ窓のある建物が好き。ついでに言うのもなんですが、緒形拳さんと竹中直人さんて、五社英雄監督の作品とセットになっているのか?と思うくらい出演していますね。遊郭ものもセットでしょうか。これは、監督自身通っていたせいかな?

    • machii.narufumi より:

      浅学にして、別子でそんな事件があったことも映画「薄化粧」も初耳でした。
      調べてみると、実話に基づいた映画のようですね。しかも、橋本のみならず五番町の千本日活まで登場すると・・
      これはもう絶対観なければ。

  2. 定マニア より:

    追記 ノンフィクションで見る戦後犯罪史で検索すると、昭和20年~昭和25年のところに紹介されています。
    西村望さんの作品です。立風書房の「虫の記」という本は、この事件についても書かれているのですが、この人って一体・・・となぜか笑えることが盛りだくさんの本です。古本屋でないと入手できませんが、機会があったら読んでみて下さい。

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