秋田県湯沢市・下新地遊郭跡

秋田県
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秋田遠征二日目。
この日は角館に始まり、横手市の増田を歩いた。これはすでに書いた通りだが、実はその間に密かに岩手へ越境して西和賀町の湯田温泉に浸かってきた。

しかしながら、行く予定の駅前温泉「ほっとゆだ」が温泉トラブルでまさかの休館・・
初日に男鹿温泉で敗北を喫したばかりだったので、ここまで来てこれは痛すぎる。

急遽、そこから10分ほどの湯本温泉(湯田温泉峡のひとつ)までクルマを走らせ、無事温泉に入ることはできた。

 

とは言え、このアクシデントのせいで行程に遅延が発生し、増田以降がバタバタになってしまった。
そんな二日目最後の目的地が稲庭うどん発祥の地、県の南部に位置する湯沢市である。

旧遊郭の目抜き通り

なるほど、うどんを食べに来たんですね?と聞かれそうな場面であるが、答えは「否」である。
湯沢に来たのは、かの地にあった遊郭跡地を散策するためであった。

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湯沢の遊郭

湯沢の遊郭については、『全国遊廓案内』を紐解いてみるとこのように書かれている。

遊廓は貸座敷数約三軒、娼妓約十四~五人位居る。

続いて、『全国女性街ガイド』も見てみよう。

秋田、山形の美人系を集め芸者衆は粒揃いだが、ここは名にし負うお酒屋さんの街。爛漫・両関の醸造地だけあり、酒の味は灘に匹敵する。酒のみばかり扱ってので、酒には強いが、あの方は至って素人くさい。お酒同様なかなかコクがある。

遊郭のルーツについては『赤線跡を歩く』に少し触れられているが、より詳しいことは『秋田県の遊廓跡を歩く』を参照されたい。

ここでは要約にとどめるが、湯沢には古くから鉱山があり、これが色街の成立と発展に大きく寄与したのだそうだ。

そんな湯沢の遊郭跡、かつてのメインストリートをぶらぶらと歩き出した。
すでに日没間際で、タイムリミットは刻一刻と迫っていた。

あたりが闇に沈む前に散策を終えなければならなかった。

めぼしい建物を適当にカメラに収めていく。

(これ絶対美味い寿司屋だ・・)

かつての指定地は、その名を「下新地」と言った。
停留所に名残を見る。

この日は大仙市内の温泉宿に泊まる予定だった。湯沢からは40km、約1時間と言う道のり。
温泉に行ったあと、時間もあまりない中わざわざ宿から遠ざかる行程で湯沢まで来たのも相応の理由があってのことである。

それがこちらの料亭・石川。
文久3(1863)年創業、159年の歴史を刻む老舗料亭である。

大正14年に大火に見舞われ、現在の建物はそのときに別の場所から移築して建てられたものだと言う。

現在も料亭として営業しており、稲庭うどんやきりたんぽをはじめ、秋田の郷土料理をそんなに肩肘張らない値段で楽しむことができる。

(すみません…ちょっとだけ拝見させてください)

(・・・あっ)

少し引いてみるとそのでかさに圧倒される。
少しじゃないな…。これぐらい引かないと全体が収まらない。

公式サイトで館内の写真が見れるけど、色々素晴らしすぎてため息が出そうになった。。
機会があればいつか食事しに行ってみたい。

 

かつての目抜き通りの名残は料亭・石川だけ。

大火後に遊郭の移転話が持ち上がり、色々すったもんだがあった末に元々の場所のやや北寄りに落ち着き、「新開地」として整備された。

国道13号線から伸びる脇道に入ると、そこが件の場所であった。

だが、この小路は完全に廃墟と仮しており、あまつさえ最近壊されたと思しき建物の瓦礫が散乱した一角まであった。
ここに色街があったのも遠い昔の物語になってしまったようだ。

新開地全体で見ても、現在も営業する料理屋はこちらの「福富」さんだけとなってしまったようだ。
数年前までは、コメリの南側に面した路地に「嬉し野」という割烹があったが今はもうない。

なお、“赤跡”で「モダニズム調の食堂のある通り。」と紹介された場所は表町三丁目交差点近くの路地になるが、時間切れで行けなかった。

一応、最新のストリートビューではまだ残っているようだが・・果たして今はどうだろうか。

新開地からはやや外れてると思われるが、近くで見かけた気になった建物。

余談だが、ガースーこと前菅義偉首相は湯沢市出身。
就任直後だったこともあって、県内では郷土の偉人よろしくひたすら祝賀ムードに沸いていた。

あのときは、まさかこんなに早く辞めることになるとは思わなかったよなぁ…。

おしまい。

[訪問日:2020年11月15日]


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