愛知県の色街シリーズ、二日目は名古屋から。
中京圏の中核都市、名古屋にはかつて江戸・吉原を凌駕する日本一の豪華さを誇った中村遊郭があったように、女性街では甚だ隆盛を極めた土地であった。
そして現在では、「○○園」という名を冠した代表的な遊里跡が4つ残っている。
その中で、まず最初に紹介したいのが『港陽園』である。
最寄り駅は名港線の築地口駅。現在の住所は「港区港陽三丁目」と、地名と俗称が一致する探すのが楽なパターンですね(笑)
地上に上がり、トラックが疾駆する国道154号線を越えて東へてくてく歩いて行く。すると5分余りで港陽園跡に到着する。
「全国女性街ガイド」によれば、港陽園は赤線時代は47軒あったそうであるが、今、往時の姿をとどめるものはただ1軒を残すのみとなってしまった。風前の灯火どころの騒ぎではない。文字通り絶滅の危機に瀕しているのだ。
かもめ荘
港陽園のかもめ荘について、所有者を名乗る方からクレームを頂いたので、残念ですが写真、文章の掲載を取り下げることとしました。
※公道で撮影された物ですので、著作権法的には写真の掲載は何ら問題がありません
内容は存じ上げませんが、迷惑行為まがいのことをする人がいるそうです。
どうぞ、現地へ行くことを控える、みだりに写真を撮ったりせずそっと眺めて立ち去る、等の配慮をお願いします。
「SNACK」と書かれた、間口15mはありそうな巨大カフェー建築は無情にも解体の憂き目に遭ってしまっていてお目にかかることはできなかった。
悔しいかな、僅かに遅かったらしい。
その斜向かいに、「昔妓楼だったんじゃね?」と思えるそれっぽい建物がひとつ。
会社の倉庫だか事務所だかとして使用されているようです。
他には遺構チックな建物は一切見つけることができず、「港陽園≒かもめ荘」は今では「港陽園=かもめ荘」と言っても過言ではなくなっていた。
駅に戻る途中、雰囲気のある家を見つけたが場所も少し離れているしたぶん無関係でしょう。
以上で『港陽園』散策は終了。
続いて向かったのは『八幡園』。そこでは、今回の遠征で一番の収穫とも言える、非常にコンストラストが高く鮮明なエッジを持つ町並みと出会うことになる。
[訪問日:2014年8月24日]