溝の口西口商店街を歩いたあと、久しぶりに東横線に乗って白楽で降りた。
横浜から3駅という近さだが、各駅しか止まらない白楽は神奈川大学の学生街だ。
昔、何かの資格を受けたときに試験会場が神奈川大で一度だけ来たことがあるが、何の試験だったかいつ頃だったか完全に忘却の彼方である。
余談だが、県名を冠されているおかげで駅弁大学と間違われることがあるが、神奈川大学はれっきとした私大である。
略称は「神大」で読み方は「じんだい」。同じ略称の神戸大学は「しんだい」と読むそうで一応棲み分けができているようだ。
さて、白楽に何しに来たかと言うとおおかたの予想通り「六角橋商店街」である。
関東を離れる前に行く機会に恵まれず、そのままずるずると5年近く経ってしまった。
しかしまぁ、一応元市民なので横浜に来るとすこぶる懐かしく感じる。
西口を出て、旧綱島街道を少しだけ南下すると商店街の入口にたどり着いた。
行こか戻ろか思案中のお兄さんが…
ほれ!はよ行きなはれ!
「仲見世通入口」からダンジョンへ足を踏み入れると、昭和が残した幻のような風景が顔を出した。
すぐさま突き当たりを迎えた路地は左手へ直角に折れる。
角に建つのは六角橋の人気洋食店。
その先から本格的に始まる「六角橋ふれあい通り」。
アーケードを構成する構造物が渋すぎて悶絶しそうになる。
六角橋はとんでもなく古い商店街だった
六角橋商店街の歴史は、なんと戦前まで遡ると言う。
かつては街道筋の農村で、農家向けの商店が軒を連ねていたそうだ。
今の商店街は戦後に発生した闇市がベースになっているようで、というか見た目的にそっちだと思っていたのでそのもっと前からあったというのは純粋に驚きでしかなかった。
六角橋商店街は、厳密には旧綱島街道沿いも商店街にあたり、そっちは「六角橋商店街大通り」。
対して、並行するこのアーケードは「六角橋商店街ふれあい通り」となっている。
広義にはふれあい通りのほうを六角橋商店街と呼んで差し支えない気がする。
このふれあい通りは何度か車通りを横切りながら約300m続く。
その間、ずっとこんな風に昭和の面影が感じられる。
アーケード内の路地は狭く、普通に歩いて人がすれ違うのが精一杯。
年の瀬らしく商店街も電飾を設えていた。夜はさぞ綺麗だろう。
人がいないタイミングを待ちながらの撮影を強いられたのでこの日はちょっと大変だった。
言い換えると、それだけ買い物客で溢れていたということである。
今の六角橋商店街は戦後の闇市から始まったと書いた通り、バラックのような建物はおおむね昭和20~30年代に建てられたようだ。
発祥が発祥だけに、土地の権利関係が複雑で建て替えもままならないと言う。
いや、まぁ建て替えなくていいと思うんだけどさ…w
屋根だけは新しいので取り替えたのだろう。
特に違和感なく馴染んでいる。
それにしても天井の蛍光灯が渋すぎて泣ける。
年内の営業終了を告げる貼り紙。
魚屋で品定めをする主婦。
ここまで見てきて、割とシャッター率高めなんじゃ?と思われた方もいるかもしれないが、それは早計である。
今年もあと1日で終わろうかというそんな日に、むしろこれだけ開いてることが逆にすごいと思わないだろうか。
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