タイトルを変えたかったものの、妙案が浮かばなかったため結局安直に決定した「名古屋シリーズその2」は、中川区の尾頭橋にあった赤線跡、『八幡園』である。
尾頭橋駅は、東海道線での名古屋の隣駅なので通過したことは数知れず。用なんかないだろうし一生降り立つことないだろうな、と思っていた場所だったのでこうして駅前に立つのがなんとも不思議な気分だった。
駅を出て、西へとぼとぼ歩いて行くと早速遊里とは切っても切れない銭湯が現れる。「八幡温泉」と書いてあるけど、銭湯を温泉と呼ぶのって関西だけかと思ってた。
目の前にはしもた屋のような怪しげな建物。妙に奥行きがあっていかにも、って感じであった。
八幡温泉の前をさらに西へ進むと、「SNACKつたや」なる遺構。少し分かりづらいけど、「Tsutaya」の文字の上のもしゃっとした物体は、髪をなびかせた女性の横顔だったりする。
床元 forever
そして、そのつたやの横にあるこちらの元妓楼が、八幡園で最も有名な建物『床元(とこもと)』。
と、本来ならここでクライマックス的な場面になるはずだったのだが、なんとこの床元、
今年(2015年)の4月に解体されてしまったのだ。
この悲報にはさすがにショックを隠しきれなかったが、この記事を解体後に公開しなければいけないことがそれ以上にショックだった。
まぁ、そもそも公開が追いつかないペースで全国歩きまわっている筆者が悪いのだが、記事を読まれた方の舌打ちが聞こえてきそうな展開になってしまい、ホント申し訳ない気持ちでいっぱいです。
往時はこんな美しい丸窓があったのだが、もう二度と、未来永劫お目にかかることはできない。
ちなみに、筆者が赤線跡を歩くようになったきっかけは、この「死にゆく者を愛でる儚さのようなもの」に魅了されたからだと自分では思っている。
床元よ、安らかに眠れ。
八幡園は、中央に「尾頭橋公園」があり、ここを囲むように聖域、もとい指定地が形成されている。
毎度おなじみの『全国女性街ガイド(昭和30年)』には以下のように書かれている。
戦前の花柳界八幡連が、ゴツソリ赤線に転向。四、五年は味があつたが当今はだめ。中川区八幡町にあり六十八軒三百二十四名。
とのことで、元々は遊郭ではなく花街だったらしい。戦後赤線に移行したわけであるが、なぜかダメ出しをくらっている。
公園の北側には、妓楼とカフェー建築が向かい合って建つなんともグラマラスな光景。
うーん、レンズがもうちょっと広角だったらよかった。残念。
まず右側の元妓楼から。
入口に「若菜」というかつての屋号が残っていたが、ここは惣菜屋ではなく遊女屋。
壁面にはアンチエイジングが施されたのか、こうして見ると妙に真新しい。
左側。一見して単なる最近のデザイナーズ物件のように見えなくもないが、石内都さんの写真集「連夜の街」にもちゃんと載っているので100%「クロ」である。
1985年に撮影された件の写真には「ゴールデンサロンパインツリー湯房」と銘打たれているので、当時は大人のお風呂屋さんか何かだろうか。
公園前の通り、若菜の並びにある遺構。住宅として大事に使用され、幸せな余生を送っている好例と言える。
公園の南西側にあるのがこちらの「金鈴商店」さん。既に商いを終えて久しいようであるが、建物が放つオーラは一向に衰えを感じさせない。
かつてたばこのショーケースだったそこには、ここが遊里であった証拠が刻まれていた。
深みのある赤と緑の組み合わせ。なかなか見ない色だと思う。
タバコのみにとってはまさに楽園のような場所だったであろう。
ここでピースかゴールデンバットあたりを買ってから階上へ。ここではそんな光景が確かに見られたに違いない。
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コメント
昔ここを訪ねたとき、
金鈴商店のおばちゃんに「なにを撮影しているの?」と
声をかけられたのをおもいだしました。
それは、不思議がってるのではなくて「勝手に人のうち撮るな」のほうの意味ですよね?^^;
僕も同じような経験をしたことあります。。