川沿いの坂を下ると丁字路にぶつかるのでそこを左折。
そこからが、通称“町家通り”と呼ばれる本町通り。
ただならぬ佇まいの本屋が目印である。
城下町高梁で最も古い商家の町並みが残るのがここ本町。
江戸時代には松山往来と呼ばれる街道だった。
本町は、頼久寺庭園を作庭した小堀遠州が奉行として着任した江戸初期から、城下町づくりに着手したのがそのはじまりだそうだ。
高梁川の航路を整備し、本町に高瀬舟の発着場をつくったことで物流の中心として賑わい、有力商人たちが集まるまちとなったのである。
確かに古そうな商家が数多く見られる。
とても風情ある通りだ。
まぁ、雨のせいでまったくもって楽しめなかったわけなんだけども。。
傘さしながら真面目に写真撮らなきゃいけないのホントつらい。。
商家資料館池上邸
高梁屈指の豪商として名を馳せた池上邸。
小間物屋から両替商、高瀬舟の船主を経て醤油製造で財を成した豪邸で今は「商家資料館」の名で無料休憩所として公開されている。
という訳で中に入ってみましよう。
なお、以前は商家資料館と言うだけあって有料施設だったそう。
その頃とは若干展示も変わっているそうな。
醤油屋時代の木桶。
奥には中庭も。
蔵かな、これは。
引き続き、本町通りをぶらぶら。
相当年季入ってるなぁこの町家。
醤油屋とよくわからない株式会社。
この本町通り、歩いてきた北から順に一区、二区、三区・・と地区が分かれている。
確か四区まであったんじゃなかったかな。
高梁の町家はほぼ全部と言っていいほどに格子を設えているのが特徴。
中二階部分の窓も、よく見る小判型×2ではなくほぼ全面に伸びる長い窓になっている。
逆に海鼠壁はそんなに多くなかったけどこのあたりはやはり地域性なのでしょうかね。
唯一とも言える“THE・海鼠壁”。
何に使われてるんだろう。
備中松山城は現存天守もさることながら、雲海に浮かぶ“天空の城”が見られることでも知られている。
最も出やすいのは11月上旬〜12月上旬頃なので、観光で行くならこの時期がオススメ。
ただし早朝なのでそれなりに気合い入れないとダメだけど。
[訪問日:2021年5月2日]
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