またの名を『高原の城下町』。味わい深い町並みが残る北国街道・小諸宿を歩く

長野県
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そのキャッチコピーは一撃で筆者を虜にした。

高原の城下町

 

なんてカッコいい響きなんだ・・

これから北国街道の小諸宿、すなわち、―宿場町、城下町、そして商家町と変幻自在な顔を持つ小諸藩の都― を歩こうというところだった。

市役所の駐車場にクルマを停め、ぶらぶらと歩き出した。

はじめに目に止まったのは島崎藤村ゆかりの地。
藤村と言えば馬籠宿の生まれだが、実は小諸に約7年間居を構えていたそうだ。

藤村の井戸

明治32年、小諸義塾の講師として赴任してきた藤村はその直後に冬子夫人と結婚。
夫妻が毎日水を汲みに行った井戸が「藤村の井戸」として残っている。

そこから西へ、馬場裏通りを歩いて行く。

やたら巨大な白壁土蔵が出てきたので何だろうと思ったら造り酒屋の「大塚酒造」だった。
創業天保12(1841)年。今では市内に唯一残る酒蔵だそうだ。

その先で国道に出る。
そこに立派な看板建築がやや連続的に残っている。

小諸城大手門。
現在小諸城は「懐古園」という城址公園として整備、公開されている。

ちなみに“高原の城下町”の所以は、懐古園が標高660mと聞けばすぐに理解できることと思う。
浅間山の麓に位置する小諸は市街地でさえ標高が高いのである。

浄斎坂を下って小諸駅方面へ。
小諸城、懐古園は線路を越えた駅の西側となるが、時間の都合で寄るのは諦めた。

駅前の元レストラン&みやげ屋が絶妙な存在感と渋い輝きを放っていた。
これは素晴らしい。

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旧北国街道に沿って歩く

旧北国街道へ。
この建物は問屋を兼ねていた旧小諸本陣。
建築年代は18世紀末から19世紀初めとされているそうだ。

海野宿で見た「海野格子」がここでも見られた。

明治末期創業の山謙酒造店。
現在はもう造り酒屋は止められているとのこと。

建物自体は江戸末期で、宿屋の問屋場であったと書かれていた。

そしてこちらが旧脇本陣だった「粂屋(くめや)」。
宿屋としてリノベーションされ、“泊まれる脇本陣”として人気を博している。

筆者も一度宿泊を検討したことがあるもののまだ実現に至っていない。
近いうちに泊まってみたい。

戦国時代の「鍋蓋城」跡で、江戸時代には城代家老(最も身分の高い家臣)の屋敷があった場所。
残念ながら今ある建物はそれではなく、昭和になってから宿泊施設として建てられたものだそうだ。

創業1808(文化5)年の老舗そば屋「丁子庵」。
建物は1885(明治18)年の黒漆喰土蔵造り。

(2ページ目へ続く)

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