引き続き、網干の古い町並みをぶらぶらと。
あぼし一番街を東へ抜け、さらにもう10分ぐらい歩いたところでようやく目的地にたどり着いた。
ダイセル異人館
ダイセルの前身となる「日本セルロイド人造絹糸」が明治41年に設立された際、イギリスやドイツから招いた外国人技術者の宿舎として建設された洋館が『ダイセル異人館』として一般公開されている。
竣工は明治43(1910)年。緑色の外観がひときわ目を引く。
土日祝、年末年始、お盆以外、つまり一般企業の営業日に見学可能とのことだが、筆者が訪ねたときはコロナの影響で閉館していた。
最後に、旧興浜村(現網干区興浜)のほうへ向かう。
途中で見かけた面白い木造建築。
網干神社。
新在家の町並み。
旧興浜村
ダイセル異人館だけぽつんと離れてるせいでかなり歩かされたけど、、ようやく興浜へ入った。
1232年創建、浄土宗の「大覚寺」。
網干は古いまちなので古刹や古社も結構多い。
これは・・銅板ですかね?
神戸北野のうろこの家みたいだ。
めちゃめちゃ渋い鮮魚店を見つけた。
興浜地区最大の見どころがこちらの「山本家住宅」。
1800㎡の敷地に明治初期の主屋、大正3~7年に当時網干銀行の頭取だった山本眞蔵氏によって建てられた洋館、和館がある。
通りからはほとんど塀しか見えないが、3階の望楼だけ見える。
なお、第1、第3日曜日は一般開放される模様。
山本家の対面の建物もなかなか。
ね、塀しか見えないでしょ(笑)
旧興浜村にはかつて陣屋が置かれ、門だけ今も残っている。
“丸亀藩”となっているのは、龍野藩主の京極家が讃岐の丸亀に移封された際、網干地区の1万石をちゃっかり手元に残した為である。
ゆえに、興浜と余子浜は丸亀藩の飛び地領、新在家は龍野藩とそれぞれ支配が異なっていた。
陣屋門の前に立つのが大正11年の「水井家住宅」。
大正時代の建物で、かつ材木問屋の家だったこともあって木材についてはかなり贅を尽くしているそうだ。
以上で網干の歴史さんぽは終了。
揖保川に沿って「あぼしまち交流館」へ戻った。
かつて水運で栄えた川の、青が美しかった。
最後の最後でこんな建物に出会った。
網干商工会館だそうな。
[おまけ]
工場夜景に興味がある方のために、拙夜景サイトのページ貼っておきます。
[訪問日:2021年11月26日]
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