江戸時代の「はしりがね」から脈々と続いた色街の歴史に終止符が打たれた渡鹿野島において、その名残が今も色濃く残るのが島の中心部である。
わたかのパールビーチ。
夏には海水浴客で賑わうそうだ。この南国リゾートのような雰囲気ならそれも納得である。
だが、ビーチの前には廃墟となったホテルが今も手つかずのまま残る。
タイトルは伏せるが、ベストセラーになった高木瑞穂氏のルポ本によれば、この島が有名になるきっかけとなったのは、昭和40年代に四国出身の4人の女性が渡ってきてからだそうだ。
スナックだった建物が今も結構残っているが、それはあくまで表向きで実際は客に女性を斡旋する置屋だったという。
四国の地名が冠されたこちらもそうだろうか。
実質この島を取り仕切っていたと言われるO氏が経営していたスナックパラダイス。
「青い鳥」も置屋だったという。
正面の建物は同氏が経営していたシーサイドホテルつたや(廃業)。
料理店の鑑札が残っていた。
こちらも廃業した大阪屋旅館。
1階には「Y’s(ワイズ)」というスナックが入居していた。
スナックばかりかと言うとそうでもなく、和風建築も残っていたりする。
こちらも元旅館だろうか。
最も風格のあった建物。
路地裏へ分け入ればこんな風景も見え隠れする。
そろそろ散策もクライマックスを迎えようかと足を踏み入れたこのあたりで
こんな豆タイルに出会い。
さらに猫ちゃんにも出会えた。
実に人懐っこい。
楽しいひとときだった。
福寿荘さんで声をかけ、渡船で対岸へと運んでもらった。
さらば渡鹿野島。
ただの離島ではないこと、景色や温泉、料理を満喫したこともあって名残惜しい別れだった。
何より、この島を実際に自分の足で歩き、歴史の一端に触れられたのはよかった。
またいつか、再訪できる日を願って。
[訪問日:2021年12月]
コメント
私が渡鹿野島を知ったのは、2010年頃、映画監督の池田敏春氏が三重県で水死体で発見されたというニュースを見たのがきっかけです。湯殿山麓呪い村というエログロ?映画の監督です。手掛けた作品の中に、人魚伝説というのがあり、渡鹿野島がロケ地になっていました。撮影当時は、まだ渡鹿野島で、女性を派遣する商売はあったようでした。その映画のロケ地で水死体で発見されるとはなんともミステリーです。一体なにがあったのでしょう。被害者親族に配慮して、詳しいことは伏せますが、三重県で、当時小学生の女の子が、自宅から突然姿を消して(父親は自宅で寝ていた)数年後に、怪文書が自宅に届くという奇妙な事件がありました。私は、渡鹿野島が関係あるのではないかと今でも思っています。
2010年とは、割と最近にもそういう話があったのですね。
90年代に女性記者が失踪した事件はご存知ですか。結局真相は闇の中ですが、この島にはこの手の都市伝説が他にもあったようですよ。
あ、知ってます。犯人はこの男ではないかってところまで分かっているんですよね。先ほどのコメントにありました怪文書には、「又割れ」という奇妙な言葉が使われていて、売春婦のことかな?と私は思っています。渡鹿野島の売春婦或いは、やりて婆が犯人?
まさしく怪文書ですね。謎が謎を呼ぶ…。