金毘羅参りの精進落としで賑わった琴平町遊郭の今

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さて、いよいよ琴平である。
まだ学生気分の抜けきらない社会人一年目の冬。青春18きっぷを駆使した鈍行ツアーを敢行し、そのとき一泊した浅からぬ縁のある街だ。
再訪したこの日。あれから流れた9年という歳月に、失われた何かを思わずにはいられないわけである。

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で、今PCから当時の写真を引っ張りだしてみたところ面白いことが判明。
「賀正」と書かれた横断幕が、当時とまるっきり同じなのだ。
変わりゆくものもあれば、変わらないものもあるんだよという、そこにある種の啓示のようなものを感じる。

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琴平の名を全国に有名たらしめてるのは、「こんぴらさん」の愛称で親しまれる金刀比羅宮にの功績に因るところが大きい。

太古の昔より商売繁盛や五穀豊穣で全国の民衆から信仰を集めた神社で、参道の死ぬほど長い石段が有名である。
これは琴電琴平駅の横にある、金刀比羅宮の北神苑。

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奥に見えるのは有名な高燈籠。1860年に完成した代物だそうな。
ちなみにその石段、本宮までが785段、奥社まで行くと1,368段という途方もない長さ。参考までに、伊香保温泉の石段が365段、と言えばどれくらいの長さかお分かりいただけるだろうか。
こんぴら参りは以前来たとき済ませているので、今回は華麗にスルー。

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琴電琴平駅。
今回のミッション、もとい目的は、こんぴらさんの門前町にあった遊里を見ることである。
昭和5年の『全国遊廓案内』によると

琴平町遊廓は香川県琴平町新地にあって、(中略)
貸座敷は目下28軒あって、娼妓は約111人程いる。女は四国及び九州地方の者が多い。

とある。

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すこぶる汚い赤線

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駅前に架かる大宮橋。答えを出せば、ここを左折した川沿いに、かつての色街は形成されていた。

もうひとつ、毎度おなじみの『全国女性街ガイド』(昭和30年)によると

森の石松が泊まったという宿まで残っている遊興の街。芸者は四十三名いて、五、六名を除けば、ここは高松とちがい泊まる。(中略)
すこぶる汚い赤線が、橋を渡り、和田邦坊の絵で有名な菓子舗「へんこつ屋」裏の新地一帯ににあり、五十軒に百七十名くらい。地元はいず、関西出身が多い。

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川沿いの風景。古い家並みが続く中に、しれっと特殊浴場が紛れ込んでいるのがわかる。
この街の生い立ちを知らない人であれば、おそらく「なぜこんなところに?」と誰しもが訝しむことであろう。

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玄関周りの意匠がどうにも気になる家宅があった。
『全国女性街ガイド』に記述されていた「へんこつ屋」というのは実はまだ存在していたらしく、さらにそのへんこつ屋のある通りが「こんぴらレトロ街道」なる聞くだけで胸熱な名の商店街となっていることをこのときはまったく知らなかった。
完全にリサーチ不足が招いた悲劇である。

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さらにもうひとつ。このスナック「白夜」の少し先に稲荷神社があることにもこのときは気づかなかった。
例えばこれが雑誌の取材などであれば、何しに琴平まで行って来たんだと編集長から激詰めされるレベルである。まったく仕事をしていないではないか。

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まぁ、白状すると、近くに駐車場を見つけられず駅前に車を路駐していたため若干急いでいたのである。と、まったく期待されていない言い訳をしてみる。

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琴平のお風呂屋さんは、三軒の店が営業していると認識していたのだが、さびれ方も普通ではないしその後の情報も曖昧でどうにも判然としていなかった。
ただ、その中で唯一確実にやっていそうだったのが、童話の名を持つお店。
あいにく、さすがに入るほどの勇気と時間を持ちあわせておりませんでしたが。

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その横には、場所柄転業と思わしき旅館が一軒。

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そしてもう一軒隣には、廃墟となったキャッスルがあった。
この名を聞くと真っ先に水戸の「クイーン・シャトー」を思い出す。

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どれ。ちょっと中を拝見。
あぁ、やっぱつぶれてる。さすがにドアの中を覗くのは躊躇われたのでやめておいた。

(2ページ目へ続く)

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