河原町に行った後も丹波篠山はちょくちょく来てたんだけど、そういや武家町のほうってまだ見たことなかったな・・ちょっと行ってみるか、となったのがちょうど去年(2021年)のこと。
気づいたら4年も経っていたというね。。
武家町の範囲も至極わかりやすく、篠山城跡とその西側&南側。
メインは御徒士町武家屋敷群と呼ばれる西側の通りとなる。
武家屋敷 安間家史料館
御徒士町武家屋敷群で唯一一般公開されている「安間(あんま)家史料館」。
ここは必ず立ち寄りたい。
江戸後期の1830(天保元)年に御徒士町で大火があり、大部分が焼失したとされている。
それゆえ、安間家が建てられたのも1830年以降という表現が使われている。
概ね築200年ぐらいの武家屋敷である。
安間家は篠山藩主の家臣で、いわゆる下級武士の一家だったそうだ。
間口約13m、奥行き約15mという広さで、間取りは玄関の奥に台所、右奥に座敷を配し、座敷の奥は仏間、居間と続く。全体としてはL字型をしている。
台所。
庭園には水琴窟。
地中の甕(かめ)にはもちろん丹波焼が使われているそう。
ちなみに水琴窟と言うのは、水を落とすと地中の空洞で反響して美しい音色に聴こえる日本古来の庭園文化で、江戸時代に考案されたと言われている。
庭から見るとL字型がよくわかる。
昔知覧で見た「二ツ家」に似てる。
御徒士町武家屋敷群を歩く
この通りには武家屋敷が数戸現存しており、茅葺屋根ともども当時の名残をよくとどめている。
ここに武家町が築かれた際、各屋敷の間口は8間、奥行きは25間と決められたそうだ。
確かに各屋敷は同じようなサイズ感となっていた。
安間家以外の武家屋敷はまだ人が住んでいるような雰囲気はあったが、通り全体としてはそんなに数は多くない。
むしろ、河原町を見てからこっちに来ると密度の低さに割と拍子抜けするかもしれない。
トタンを被せた屋根も見受けられる。
茅葺屋根を維持してる家は葺き替えの負担が大変だろうなぁ。
もしかしてそこも補助金で出るのかな。
一応城の南側も見ておこうかな?と歩いて行くと、こちらの小林家長屋門がお目見え。
文化年間(1804~1818)に、篠山藩第12代藩主青山忠裕がその老女のために修築した屋敷の長屋門で、篠山城下の武家屋敷門を代表する建物。
だそうな。
篠山城は、石垣と堀のみが残る。
天守は消失したわけではなく、もともと建設されなかったのだとか。
珍しいね。
南側の通りはほとんど見どころはなかった。
武家屋敷もかろうじて残ってる程度。
商家町と武家町は保存地区的には地続きになってるので、セットで回ることをオススメします。
篠山城跡も入れて、一日あれば十分見て回れると思いますよ。
[訪問日:2021年7月4日]
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