黒船がやって来た!開国の舞台・下田の町並み散歩

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下田と言えば、京浜地区や東海道沿線の人にはおなじみ、特急踊り子号の終着駅である伊豆急下田駅のある街。
それ以外の人には、日米和親条約によって箱館(函館)とともに我が国で初めて開港した地という認識であると思う。

過去に二回ほど訪れたものの、真面目に観光してなかったのでいいやいつかまた行こう…と思っていたその下田に昨春、ようやく行く機会を得た。

ホテルの部屋はオーシャンビュー。朝から晴天のポカポカ陽気に散策も捗りそうな予感。

まず遊覧船のサスケハナ号に乗船。船体のテイストが完全に黒船のそれである。とりあえずコレに乗って幕府に開国をせまりに行きましょう。

開国しろや(゚Д゚)ゴルァ!

ヒィィ((ll゚゚Д゚゚ll))ィィ!!!

唐人お吉物語

下田、開国、歴史散歩。これらのキーワードと切っても切れない関係にあるのが初代アメリカ総領事のハリス唐人お吉である。

というわけで、手始めに初代アメリカ総領事館となった玉泉寺へ。

1856年(安政3年)から約3年間、ここに総領事館が置かれ、ハリスが着任。下田湾の東側に位置するこの小さな古刹で開国の歴史が始まったのである。

昭和54年、当時のアメリカ大統領ジミー・カーターが夫人、娘と共に玉泉寺を訪れたことを示す記念碑。

境内にはハリス記念館があり、総領事時代の遺品や関連資料が展示されているというので見てきた。(中は写真撮影禁止)
なんか看板の下で伸びてるヤツがいますがあまり気にしないでくださいw

ハリスと言えば、開港の条件として横浜に遊女屋(港崎遊郭)開設を要求した人物であり、それまでは正直ただのエロ親父としか思っていなかった。

が、真に日本の発展を願い、使命感と共に任務を全うしたということ、そして本当に日本の幸福になるのだろうか憂慮を重ねていたことがここに来たことでわかり、イメージが150度ぐらい変わりました。

その総領事ハリスに下女として仕えたのが、当時下田随一の人気芸者だった斎藤きちである。

お吉のことを詳しく知るために、今度は唐人お吉記念館(宝福寺の境内にある)へと向かった。
龍馬像が建ってますが、今回の話とは関係ないのでスルー。

「唐人お吉物語」でその悲劇的な人生が描写され、人々の共感と同情を誘い続けるお吉については、実は色々と誤解されていることも多いという。ハリスの人物像についてもまた然りである。

何が真実かは知る由もないが、お吉が玉泉寺へ通ったこと、それに因って人生の歯車が狂い、後の不遇な半生へと繋がったことだけは確かである。それ以上のことは各自の想像に委ねるべきではないかと思う。

人々から蔑まれていたお吉が川に身を投げて死んだあと、引き取り手がないことを哀れに思った宝福寺の住職が亡骸を引き取り、手厚く葬った。

「時代」がそうさせたとは言え、人間の浅ましさや愚かさを思わずにはいられず、手を合わせ黙祷をしてきた。同情されることがお吉自身にとっていいことかどうかは判らないが。

晩年、お吉が小料理屋を営んだ「安直楼」。

小料理屋だったのは明治15年から2年間で、その後は寿司屋となる。現在は市が所有。
見学できるのかと思ってたけどなぜか閉まっていた。

お吉が身を投げた稲生沢川の現場は、現在「お吉ヶ淵」という名がついている。場所は下田街道沿い、蓮台寺駅のやや北側である。
この地蔵は、あの新渡戸稲造博士が建立したものだという。

祠の脇の丸い石碑にはこんなことが書いてあった。

好い女 乱れて泣くか 明からす

正確な意味は掴みかねるけど、死後もなお下田の町人たちから罵られていたのではないかと思える文言である。

合掌( ̄人 ̄)

次頁から、町並みについてつらつら書いていこうと思う。

(2ページ目へ続く)

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コメント

  1. maru より:

    素敵な町ですね。
    いつか、と思いながら、そのうちに。