胸熱な妓楼建築が残る大津市の柴屋町遊郭跡を頑張って歩いた話

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去年あたりから、いわゆる歴史散歩的な正統派のまちネタがちょこちょこ増えてきた当サイトですが、萌芽期に遊郭・赤線ネタばかり書いていたせいかいかんせん食いつきが鈍くてですね(笑)

まぁ、見に来てくれる方が何を期待してるかよくわかるし、これからも変わらず書いていくんでご安心ください。

そんなわけで今日は大津の遊郭跡の話を。

大津市は言わずと知れた滋賀県の県庁所在地。古くは交通の要衝として大いに栄え、江戸時代には公許の遊廓が置かれたほどの地である。
その場所は現在の大津市長等2~3丁目あたり。俗に「柴屋町遊郭」と呼ばれる界隈である。

渋いアーケード、「長等商店街」の北側にその一帯はある。

ここは色々な方が自サイトで紹介されているので、あまり細かいことに言及するのはやめておこうと思う。そもそも成り立ちがよくわからなかったし、深追いする気もないので。

あくまで現状確認という位置づけ。と言っても去年の夏なんで、そんなに最新情報でもないんだけどw

『全国遊廓案内(昭和5年)』には、大津に4ヶ所も遊郭があったことが書かれていた。おそらく、その中で「上柴地」「下柴地」というのがここのことなんだろうけど、三井寺の描写があった「眞町」のような気もするし、とにかく謎だらけであった。

ここから先はマニアや研究者に任せようと思う。餅は餅屋である。

ようやく名残と思われる建物に出会えた。まだ序盤だからかどこか控え目な外観である。

なお、この向かいにあるはずのカフェー調の遺構は真新しい戸建てに姿を変えていた。

ところで、近江八幡から大津への道すがら、せっかくなので琵琶湖大橋経由で雄琴に寄ってみた。
が、恥ずかしいことにてっきり遊郭がルーツだと思っていた雄琴に、赤線建築など1軒もあるはずなく、、
しかも外にはボーイが大勢いて、あったとしてもとてものこのこ写真撮り歩けるような雰囲気ではなかった。

いやはや、炎天下の下ずいぶん営業熱心で感心しちゃいました・・なるほどこれが近江商人の系譜かとw

で、大津にやって来たまではよかったんだけど、どうにも体調がおかしい。

風邪と花粉症を足して2を掛けたぐらいの勢いで鼻水が止まらず、頭もぼーっとしてくる。一体何の呪いなんだろうか。

そんなわけで、どこをどう歩いたかあまりよく覚えてないのと、すべての路地を歩ききれなかったのでどうやら見落とした場所があったようだ。

あとは現地に行って自分の目で確かめていただければと思う。

とりあえず、写真に収めた分だけ眺めてみても結構な数の遺構が残っていることだけは確かなようである。

規模が大きかったこと、花街もあったこと、戦後は赤線となって存続したこと、などが理由ではないかと思う。

この有名な建物はまだ健在だった。そして、左側にぽっかり空いた空洞が実はぬけられます仕様だったことをついさっき知った。

既に思考力が平常時の20%ぐらいしかなかったので、中に入るという考えすら出てこなかったんだと思う。

隣の建物もなかなか。

実はこのあと草津の遊郭跡にも行くつもりだったものの、体が拒否反応を示したため残りの予定すべてキャンセルして家に帰る羽目になった。
電車なら多少なりとも無理したんだけど、単車だったので仕方ない。

スナックの看板に導かれるように怪しげな細い路地へ入って行くと、こんな路地裏風景の歓待を受けた。なるほどどうやら今でも盛り場の機能は失われていないようだ。

しかしよく見てみると、一部はすでに空き店舗であった。昼間でもどことなく陰気で寂れた空気に包まれている。

見通しが利くようになった空き地の先にも朽ちかけた廃屋が建っていた。一棟の長屋かと思ったら、真ん中で分かれているようでもあった。右側は住人がいるように見える。

(2ページ目へ続く)

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コメント

  1. maru より:

    体調不良でバイクで帰宅ですか?
    ご自愛ください。