北アルプスに抱かれて。遠くの山並みと棚田が美しい白馬村青鬼集落

長野県
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長野県の白馬村と言えばウィンタースポーツを嗜む人にはおなじみ、1998年長野オリンピックが開催されたスキーの聖地である。
筆者もかつてはよく滑りに行っていたが、そんな白馬を初めて夏に訪れた。

目的は重伝建の青鬼(あおに)集落である。

青鬼集落は白馬村の北東、標高約760mに位置する山村集落。
スキー場とは国道を挟んで反対側という位置関係である。

平成12(2000)年、「山村集落」の種別で、長野県内では4番目(現在7ヶ所)の早さで重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

保存地区は南北約700m、東西約2kmとかなり広範だが、集落の他に棚田や森林、用水路などで構成されるためである。
集落そのものは南北約100m、東西約250mとコンパクトな範囲に収まっているので安心してほしい。

集落の建物は江戸後期~明治期に建てられたもので、15棟の主屋と他に土蔵が見られる。
明治40年の大火で集落の大部分を焼失した歴史があり、大火前のものとしては江戸後期が2棟、明治初期が1棟残っているそうだ。残りは大火後の明治後期ということになる。

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お善鬼の館

平成17(2005)年に空き家の利活用によって整備された「お善鬼の館」は、地区唯一の公開施設。

まぁ、名神高速の鬼のような渋滞と長野道でくらったウルトラゲリラ豪雨のコンボで到着が大幅に遅れて中は見れなかったんだけども…。

青鬼集落の主屋は鉄板を被せた元茅葺屋根で、希少な兜造りをしている。

兜造りとは簡単に言うと採光や風通しのために一部(窓にあたる部分)を切り取ったような屋根形状のひとつで、主に養蚕が盛んだった農村で見られる。
青鬼の兜造りも養蚕のためであるが、通常は妻側を切り取るのがここでは平側を切り取っていてこれは非常に珍しい。

もちろんこれにもちゃんと理由があって、南側から採光、通風できるように主屋は揃って東西に長い南向きに建てられている。こんな風に。
だから自ずとそういうことになるのである。

昭和初期まで使っていたという「ガッタリ」が復元されていた。
ガッタリとは水力を使った脱穀機のことで、原理的には料亭なんかにあるししおどしをイメージしてもらえれば。

このガッタリは沢から水を引いて動かしていたそうだ。
昔の人、特に田舎の人たちは生きるためのあらゆることを自分たちで解決していたからとにかく生活力が半端ない。

筆者が地方移住に憧れる動機もまさにここにあって、何でもできる人ってシンプルにかっこいいなと思うので。

ところで、青鬼集落がどういう歴史のもとに成り立ったかについてちょっとばかし言及しておこうと思う。

現在の国道148号線、千国街道が江戸以前は青鬼を通っていたことと、江戸期以降は千国街道から善光寺や戸隠方面へ向かう道が集落内を通っていたことでその恩恵を受けつつ、農村として発展したそうだ。

大火後に再建された主屋がことごとく大型であることも、経済的な発展の裏付けと言えるのだろう。

火除けを表す「水」の字に、当時の人々の思いを見る。

「寿」は家内安全や無病息災を表すのだろうか。

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青鬼の棚田

集落の東側に石垣で築かれた200枚の棚田が広がっている。
動物よけのゲートを開けて見学しに行ってきた。

集落の南側を流れる沢の上流から田んぼに取水するために江戸末期に山中を通す「青鬼堰」が作られ、なんと今でも現役というから驚かされる。

今も息づく先人たちの苦労によって、美しい棚田は脈々と守られているのである。

そしてこの青鬼の棚田は、実は「日本の棚田百選」に選ばれている。
棚田愛好家や写真家の方々にはよく知られていることと思う。

何が美しいかと言うと、田植えの時期になれば残雪の白馬連峰を背景に、満々と水を湛えた棚田が一望できるのである。
そう、ちょうどこの場所から。

空気がもやった真夏の日没間際にそんな風景は望むべくもないが…。

お善鬼の館にも入れなかったことだし、何年か後にもう一度、田植えの時期を狙って訪れてみることにしよう。
未来への宿題を残した青鬼集落をそっと離れ、この日の宿へと向かった。

[訪問日:2021年7月22日]


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