信楽を歩いたあと、車で20分ほどの水口へ向かった。
かつては信楽町、水口町と別の自治体だったが現在はともに甲賀市に属している。
なお、読み方は「みずぐち」ではなく「みなくち」である。
水口は東海道の水口宿があったところで、その宿場町を見に行ったのであるが、先立ってその近くにあった旧水口遊郭(石倉新地)跡へ立ち寄った。
最寄り駅は近江鉄道の水口石橋駅。
住所で言うと「水口町高塚」というところに遊郭はあった。
昭和5年の『全国遊廓案内』に「水口町遊廓」の名で記載がある。
水口町遊廓は滋賀県水口町にあって関西本線柘植から草津線に乗車、更に岐阜川駅で近江鉄道に依って水口駅へ下車する。妓楼、其他詳細な事は判明して居ない。
とあるが、
岐阜川 ⇒ 貴生川
であるし、
依っては乗っての誤りだろう。
詳細不明のみならず誤字だらけで、同書がここまで役に立たない遊里もなかなか珍しい(笑)
かつて志乃ゝめ旅館だった旧東雲楼。
実際に泊まれる遊郭、いわゆる転業旅館であったが、筆者が関西に来た頃とほぼ時を同じくして廃業してしまい、当時かなり残念な思いをした。
昔からよくお世話になっている「花街ノスタルジア」さんが2012年の宿泊記をYouTubeにupされているので興味のある方は是非ご覧ください。(探せばすぐ見つかります)
泊まれなくなってしまったこととここになかなか足が向かなかったことはもちろん無関係ではなく、本来ならとっくに来ていただろうと思う。
今日死ぬほどたぬき見てきたからもうお腹いっぱいなんだけどw
ここの遊郭はかなり小規模で、だいたい正方形のような区画をしている。
左前方に見えるのが旧大正楼。
おや?
なんと、右半分の外壁がなくなっていて土間のような部分がこんにちは。
おそらく解体を待っているようなタイミングだったのだろう。
Googleマップで航空写真を見ると更地になっているので、もう現存はしていなさそう。
ここ、水口町遊郭は石倉新地とも言って、明治32年に誕生した。
最盛期で15軒という規模だったが、昭和に入った頃から徐々に衰退が始まり、赤線が終焉した昭和33年は6軒が営業するのみだったそうだ。
北東の角には稲荷神社(末光稲荷大明神)が鎮座している。
かつては遊女たちもココで祈りを捧げたことであろう。
石柱の裏には「昭和四年七月建立」の文字。
よく見るともう一本背の低いのが立ってる。
辛うじて「大正二年」は判読できたものの、続きが読めなかった。。
南側の路地にも格子窓が残る雰囲気のある建物があるが、一番奥の建物が往時は検番だったのだとか。(花街ノスタルジアさんの動画より)
住宅街に僅かに残る遊里の残照。
去来する感慨を深く吸い込みながら、通り過ぎる風のようにそっと立ち去った。
[訪問日:2022年4月22日]

















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