そこは三筋の町。東海道五十三次「水口宿」を歩く

滋賀県
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東海道五十三次の50番目の宿場が滋賀県甲賀市にある水口宿(みなくちしゅく)。
水口岡山城の城下町として形成されたまちは、江戸時代に入ると東海道の宿駅に指定された。

ひと·まち街道交流館

ひとまず観光マップが欲しかったのでこちらに立ち寄った。
宿場はココから見て東西に伸びているが、メインは東側になるよう?だったので独断と偏見で西側はスルーした。

そんなわけで、東へ向けててくてく歩いていくと曳山の蔵が登場。

その奥の香ばしいスナックに強く惹かれてふらふらっと路地に吸い込まれていったw

その先、踏切の手前にもこんな風景が。

踏切を渡るとその名も「石橋」という橋が架かっている。
宿場町はこの橋を境に東西に分けられており、東側は冒頭に書いたとおり水口岡山城の城下町。
ちなみに西側はと言うと、水口城の築城とともに発展したまちとなる。

で、よくよく見るとこの石橋の先で道がフォークのようにキレイに三又に分かれているのがお分かり頂けるだろうか。

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三筋町

水口岡山城の城下町は三本の筋に沿ってまちづくりが行われた「三筋町」となっており、その起点には曳山を模したからくり時計が設置されている。

これ、時間が来たら実際に動くらしい。

三筋のうち、旧東海道は真ん中になるのでひとまず真っ直ぐ進む。

ところで、宿場内に2つも城があったの?という話については、水口岡山城は1585年に築城するも関ヶ原の戦い後、攻め落とされて1600年に廃城となっている。

水口宿は幕府の直轄地となっていたが、3代将軍家光が1634年に自身の宿館として築いたのが水口城で、水口宿の西側はこの城下町として整備され発展していった。

城下町整備に伴い旧東海道は北に迂回させられたようで、その名残として道が鍵の手になっている。
一応ストリートビューで確認してみたが、そのあたりには古い建物はほとんど残っていないようだった。(結果的に行かなくて問題なかった)

それに対して、三筋町のほうには先ほどからご覧のように江戸時代あたりであろう建物がそれなりに残っている。

東海道の宿場と言えば、関宿と言う例外中の例外があるにせよ基本的に往時の名残はほとんどないと思っていたので、良い意味で期待を裏切られた感じだった。

三筋町の中ほどにもうひとつからくり時計がある。
9時、12時、15時、18時に動く仕掛けになっているそう。

右横書きの商店。

またしても曳山の蔵。
水口では「山蔵」と呼ばれるが、なぜ曳山が多いのかは後ほど解説しよう。

こんな風に各所で旧町名が分かるようになっている。
旅籠町ってことはかつては旅籠が軒を連ねていたんでしょうな。

三筋町、1kmほど距離があって地味に長い。
三本あるってことはすべて歩こうと思うと二往復しないといけなくなるが、4kmも歩きたくなかったので帰りは二本を移動しながら適当に歩いた(笑)

ダイニングカフェ TAKUMIYA。

この先で三筋が合流して一本になる。
厳密には、少し手前で二本が一本になって、最後はV字で合流する。

という訳で、前編はここまで。

(2ページ目へ続く)

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