『春駒』を忘れない ~あの夏の新堀遊郭~

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2014年12月。

気がつけば、あれから3年半あまりの時が流れていた。

うどん県まるがめ市。
あの日やり残した宿題を終わらせる日を、どうやら無事に迎えることができたようだ。

思えば、四国に来ること自体があのとき以来だろう。
晴れの国岡山から快速マリンライナーに乗り込み、雄大な瀬戸内海の絶景を楽しみながら上陸を果たした。

駅前、福島遊郭のカフエー建築は何も変わらぬ姿で前と同じ場所に建っていた。
やはり何度見ても惚れ惚れする美しさである。

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新堀遊郭

前回行きそびれた「新堀遊郭」は、駅の北東、西平山町にある。
3分ほど歩くと、湾と青い橋が見えてくる。

1833年(天保4年)に端を発する新堀港。
金毘羅(こんぴらさん)参拝の船の往来で賑わった土地柄で、そんな歴史を見れば遊郭ができたのも必然だったことが理解できよう。

江戸時代には金刀比羅宮の遥拝所だった「玉積神社」。
鳥居には今も「金刀比羅宮」の文字が深く刻まれている。

境内には稲荷社も祀られている。
遊郭と深い関わりがあったであろうことは想像に容易い。

微かな名残を求めて

『全国遊廓案内』によれば、

遊楼数十八軒、娼妓は七十六人居る。

とあり、さらに

北は瀬戸内海に面して風光明媚、殊に夜は格別の情緒がある

小規模ながらも風情があり、隣の福島遊郭とともに参詣客らで大いに賑わった。
そんな情景が浮かんで来る。

 

おそらく転業組であろうこちらの「大西旅館」さんと

飲食店の看板が出ている「卯乃吉」さんの二棟が路地を隔てて並んでいる。
新堀遊郭最大の見せ場と言ってよいだろう。

西側、灯籠のすぐそばにある「さんきち旅館」さんは看板をおろしてしもた屋になっていた。

※現在は解体されてなくなったそうです

 

隣り合ったエリアにふたつの遊郭が並び、駅前には全国トップクラスとも言えるカフエー建築。

いかに丸亀に足を運ぶ人が多いのもこれだけ聞けば納得できる。

こんなカフエー調の遺構もあった

だが、それだけではない。
両者がともに高いレベルで有名なのは、相応の理由があるからに他ならない。

今回最も見たかった建物。

そして、また丸亀に来る理由であり続けた建物。

 

そう、“今はなき”『春駒』である

 

おそらく、この写真を見て懐かしむ方のほうが多いだろう。

筆者が訪れた約1ヶ月後。
初秋の風が吹き始めた頃、日本中の多くの人に惜しまれながら「春駒」は逝った。

当時。
哀しみと、最後にギリギリこの目で見ることができた自分の幸運を思った。

 

表面の塗装が剥がれ落ち、タイルに擬態したトタンがその本当の姿を曝け出していた。

この痛々しい姿をあまり見ないで欲しい。内心、そんなことを思っていたのかもしれない。

2018年夏。

瀬戸内の遊郭跡で見た、類まれな艶やかな意匠を持ったカフエー建築のことを生涯忘れることはないと思う。

 

リメンバー・ハルコマ。

 

Rest in peace.

 

長い間、本当にお疲れさまでした。

[訪問日:2018年8月18日]


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コメント

  1. 同行二人 より:

    さんきち旅館さんもほぼ同時期に取り壊されました・・・。昔は他にも大きな木造物件がいくつか残っていたんですけどね(涙)

    • mast-mo より:

      そう言う話をしていた矢先にこれですね(笑)
      ご指摘ありがとうございます!あとで加筆しておきます。