野良時計と武家屋敷と江戸風情。安芸市『土居廓中』の町並み

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15時半。

赤岡を発つ頃には結構いい時間になっていた。

 

この日最後の目的地、安芸(あき)市へと急ぐべく、海岸線に沿って国道55号線をひた走った。

野球好きの方であればご存知であろう。高知県安芸市は、阪神タイガースのキャンプ地として有名なまちである。
中心部から少し北へ外れたところに、江戸時代から残る武家町があると言うので見にやって来た。

現地に着いたのは16時半。すでに日が傾き始めていた。
急ごう。

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野良時計

まだ家ごとに時計がなかった頃土地の地主であった畠中源馬は時計に興味をもち、アメリカから八角形の掛時計をとりよせ、それを幾度も分解しては組み立てして時計の仕組みを覚え、自作の大時計を作ることを思いたった。
分銅も歯車もすべて手作りで、一人で作り上げた。明治二十年頃のことである。以後、百二十年以上もの間、時を刻み続けたこの時計は、今も周辺の人々に「野良時計」として親しまれている。

この作者の執念(ここまで来ると怨念に近い…)が籠もった時計は、今は止まっているが整備すればまだ動くそう。
安芸市を代表する観光スポットで、かつ国の登録有形文化財となっている。

土居廓中

野良時計から北へ3分も歩けば、かつて武家町だったゾーン。
戦国期に築かれた安芸城を中心に、土佐藩の家老だった五藤家が形成した町並みが広がる。

巷では「土居廓中(どいかちゅう)」と呼ばれている。

町割りや道路は近世以降大きな変化はなく、江戸末期から昭和戦前期に建てられた主屋や門などが良好に残っている。

野村家(一般公開の武家屋敷)

歴史的風致を今日によく伝えている、ということで2012年7月には「武家町」として重伝建に選定。

保存地区は東西約410m、南北約360mとかなり狭い。

小さいほうが歩きやすいので助かる。同じ武家町でも、や鹿児島の出水麓なんかは広すぎて辛かった…。

町並みの特徴としては、先ほどの門以外には瓦を積み重ねた塀や

玉石を利用した塀(イシグロ)

そして、最も特徴的なのが武家屋敷風情を感じさせる土用竹の生垣。

生垣は中が見えないようにするため、防御のため、等の目的があるが、竹が使われたここの生垣は暴風雨から主屋を守るためと言う、高知特有の理由があったようだ。

安芸城跡

実は安芸城は、1615年の一国一城令で廃城となり、その後は土居(どい)と言う領主の屋敷を意味する言葉が用いられた。

明治期に再建された五藤家安芸屋敷

『土居廓中』は、この土居を中心に整備された一郭を成す武家町、の意味であるようだ。(たぶん)

標高41mの平山城。
現在の安芸城(土居)跡は曲輪や堀切、追手門の枡形などが遺構として残っている程度で、目の前の歴史民俗資料館の職員さんに「登っても何もないよ」と言われたので登らなかった。

これが歴史民俗資料館。ここのお兄さん、気さくに話しかけてくれるのはいいんだけど、暇してたのか話が終わる兆しがまったくなくて困ったw

横には「安芸市立書道美術館」なる、2割ぐらいの人はこれが天守閣だと勘違いしそうな見てくれの美術館が建っている。

見て来たのはここまで。

暗くなって写真は撮れなかったけど、野良時計の南に水路と武家屋敷が醸し出す風情ある一角があるので併せて行かれることをオススメしたい。駐車場からもすぐなので。

 

 


太平洋側に抜け、ようやく寒さが苦にならなくなった。
だが、祖谷での苦行がよほど堪えたのか、バイクと言う乗り物に絶望しかけてる自分がいた。

クルマとは比較にならないぐらい維持費が安く、渋滞知らずで機動力があり、写真撮りたくなったらちょっと停まって気軽に撮れる。
高速使わなければ極限まで交通費を抑えられる、まさに世界最強の乗り物。

 

今から8年前。経済的理由でクルマからバイクに乗り換えたからこそそのメリットに気づけ、だからこそ多少のハンデも厭わずに長年乗り続けてきた。

 

途中で見たブルーモーメントがあまりにキレイで、ちょっと感傷的になっていたのかもしれない。

 

そろそろ潮時かもな…
もう十分頑張ったろ

 

冗談のようにつぶやいた一言。

まさかこれが本当に最後の旅になるとは、このときはまだ知らなかった。

[訪問日:2018年11月24日]

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