城下町から在郷町へ。八女福島の白壁な町並みを歩く

福岡県の八女市には、観光地として有名な町並みがふたつある。
ひとつは前回書いた「黒木」、そしてもうひとつが福島の町並みだ。

八女市の中心部にある福島は、近世に福島城が築かれた場所。
現在、城跡は八女公園として整備されている。

1615年、江戸幕府の一国一城令により福島城はわずか30年ほどで廃城となるも、町人地はそのまま残り、交通の要衝として、また、経済の中心として発展を続けていった。

スポンサーリンク
広告336×280

職人のまち

八女福島は、“商人のまち”以上に“職人のまち”としての性格が強いそうだ。

元々が城下町で職能別の集住がなされていたことに起因するのかもしれないが、仏壇や提灯をはじめ、石灯籠、和紙、竹細工など多岐にわたり、それゆえ八女市自体が『伝統工芸のまち』として広く認知される要因となっている。

もちろん、地場産物の集散地としての側面も持ちながら、付加価値として工芸品の製造販売を行ったことがまちの発展を支えていったのだろう。

まちなみの話

八女黒木のところで触れた「旧往還道」に沿って町並みは続いている。
街路は当時のままで、城下町の名残で枡形も残っている。

町家は入母屋&妻入り&塗籠の「居蔵造り」を基本とし、白漆喰を使用していることで『白壁の町並み』とも呼ばれる。

江戸時代にしばしば大火に見舞われたことで江戸末期から明治期の建物が多いが、全体的には江戸~昭和初期とバラエティに富んだ町並みを形成している。

城や宿場、港など核を持たない在郷町でありながら、これほど大型の町家が立ち並ぶ町並み。よほど賑わったのだろう。

ところが、近代に入ると、福島は徐々に商業の中心から外れていくことになる。

明治後期に国道3号線と442号線が整備されたことで幹線から外れ、モータリゼーションの流れから商圏もそちらへと移動していった。

福島地区は開発から逃れ、結果として・・というテンプレ的おなじみの理由で、古い町並み、建物が残された。

翻って考えてみると、素晴らしい町並みがありながら近代化の流れで開発の波に飲まれて消えた場所も全国では星の数ほどあるわけで、現存する古い町並みってホント紙一重の歴史の産物なんだな、って思ったりする。(このあたりの考察は次頁で)

ベッタベタ琺瑯看板と謎の招き猫

あーあーあー

せっかくの美しい白漆喰&なまこ壁が・・

江戸時代から代々酒造業を営んできた旧木下家住宅(堺屋)。
現在は指定文化財として市が整備・管理し無料で公開されている。

※年末なので当然やっておらず。。

そう言えば大晦日だったんだよな、この日。
観光客はおろか住人もほとんど見なかったわけだ。

大掃除やら年越しの準備で忙しいよね、普通の人は。

(2ページ目へ続く)