近鉄布施駅の近くに、かつて「布施新地」という赤線があった。
そんな冒頭で始まる記事を書いたのは、2018年に初めて布施を歩いた日の出来事である。
あれから2年半。
あの日、この街に宿題を残したまま帰路についてしまったことを悔やむ日々を経て、ようやく再訪が叶うことと相成った。
消えた観音
前回、最後にこう綴って文章の結びとした。
そう言えば、駅の南西側にもいい感じの横丁があると帰ってから知ってガックリ。
こりゃ、布施はもう一度行かないとダメかな。
この日の目的は、この「駅の南西側」を歩くこと。
布施新地や愛染小路から見たら線路の反対側にあたる。
で、なんとこの付近にあの東京・浅草の「浅草寺」があるのである。
「は?」と思う方もいるだろうが、別にバッタモンでもなんでもなくあの本家本元の浅草寺なのである。
いわゆる神社で言う「分社」にあたるもののようで、通りの名も『関西 浅草観音通り』と言うのだからやはり本物なのだ。
(本家の浅草も過去に色々記事を書いたのでいくつか紹介しておこう)
なぜ布施にあるのかはよくわからないが、まさか大阪で浅草寺に出会うなんて・・
なんて思いながらよくよく見てみると、、おや?
なんと・・浅草寺が廃業していた!!
ゴミ箱が置いてあるところに以前は観音様が立っていたようだが、、なんちゅー罰当たりな。
驚いた。こんなこともあるんだな…。
さて。
浅草寺と聞けばこの通り、以前は門前町のような趣きだったのだろうか。
因果関係はさておき、料亭が一軒営業していた。
しかも激レアな大阪府の鑑札(標識)付きで。
そこから東へ向け歩いていくと突き当たりが「布施本町商店街」のアーケードとなるわけだが、この通りがいわゆる昔ながらの盛り場で今なお往時の雰囲気が濃厚に感じられる町並みだった。
百聞は一見である。
いきなりこんな豆タイル物件が登場して腰を抜かしそうになった。
そしてこのアパートである。
何ということだろうか。非常に由々しき事態である。
布施新地が「赤」なのに対し、この通りは「青」だったという噂もある。
なるほど、そういう視線を向ければ色んなことが秒で理解できた。
そんなものはまだ序の口だと言わんばかりに、次から次へといかがわしい建物が目の前に現れる。
元商店だろうか。何か完成された芸術作品を目の当たりにしているかのようだった。
サビの風合いひとつ取っても完璧なまでの美しさである。
これとかどう見ても「クロ」にしか見えない。
かつては階上で別の商売が行われていたのだろう。
数多の男たちの役に立ち、静かに天寿を全うしたに違いない。
そんな建物にシンプルに謝意を告げたくなった。
そしてここでも発見した。先ほどとは色違い。
筆者はこの手の専門家ではないので存じ上げぬが、この違いは業態によるものなのだろうか。
なおも散策は続く。
※こちらの建物は解体されました
普通の路地裏に感じるこの強烈な魔窟感よ。
そして最後のブロックに差し掛かった。
本当に面白いのはここから先だということを、この直後に知ることになる。
(2ページ目へ続く)
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