いかがわしさの向こうへ…布施の魔窟『柳小路料飲食街』が壮絶すぎた

この記事は約3分で読めます。

近鉄布施駅の近くに、かつて「布施新地」という赤線があった。

そんな冒頭で始まる記事を書いたのは、2018年に初めて布施を歩いた日の出来事である。

いかがわしさは正義…近鉄布施駅前の盛り場が楽しすぎた
近鉄布施駅の近くに、かつて「布施新地」という赤線があった。 三重方面に出るとき、いつも鶴橋から近鉄に乗るので通ったことは何度もあって存在も知っていたものの、なんやかんや後回しになってなかなか行けなかっ...

あれから2年半。
あの日、この街に宿題を残したまま帰路についてしまったことを悔やむ日々を経て、ようやく再訪が叶うことと相成った。

スポンサーリンク

消えた観音

前回、最後にこう綴って文章の結びとした。

そう言えば、駅の南西側にもいい感じの横丁があると帰ってから知ってガックリ。
こりゃ、布施はもう一度行かないとダメかな。

この日の目的は、この「駅の南西側」を歩くこと。
布施新地や愛染小路から見たら線路の反対側にあたる。

で、なんとこの付近にあの東京・浅草の「浅草寺」があるのである。
「は?」と思う方もいるだろうが、別にバッタモンでもなんでもなくあの本家本元の浅草寺なのである。

いわゆる神社で言う「分社」にあたるもののようで、通りの名も『関西 浅草観音通り』と言うのだからやはり本物なのだ。

(本家の浅草も過去に色々記事を書いたのでいくつか紹介しておこう)

浅草散歩~観音裏の花街~
歌舞伎にはじまり、演劇、映画などなど。 大衆娯楽の中心地であり発信地であり続けた、それが浅草という街。 娯楽街のみならず歓楽の街でもあった浅草には、東京六花街にも数えられている浅草花街が今なお現役で存...
浅草で花魁を見よう!「江戸吉原おいらん道中」体験記
浅草花街のある浅草観音裏。これについては以前拙筆ながらレポートを書きました。 その観音裏には「浅草観音うら三大祭」なる祭りがあり、毎年春に「一葉桜まつり」が行われています。 で、その桜まつりにはおいら...
浅草アンダーグラウンド…異界への入口
浅草アンダーグラウンド…略してAUG。 なんてDAIGOの披露宴に寄せた安倍首相のメッセージみたいなネタはさておき。 浅草駅前。吾妻橋交差点。何度となく目にした見慣れた風景である。 この景色の中に、と...

なぜ布施にあるのかはよくわからないが、まさか大阪で浅草寺に出会うなんて・・

なんて思いながらよくよく見てみると、、おや?

なんと・・浅草寺が廃業していた!!
ゴミ箱が置いてあるところに以前は観音様が立っていたようだが、、なんちゅー罰当たりな。

驚いた。こんなこともあるんだな…。

 

さて。
浅草寺と聞けばこの通り、以前は門前町のような趣きだったのだろうか。
因果関係はさておき、料亭が一軒営業していた。

しかも激レアな大阪府の鑑札(標識)付きで。

(見つけた瞬間「ファーーッ!!??」って奇声を上げそうになったw)

そこから東へ向け歩いていくと突き当たりが「布施本町商店街」のアーケードとなるわけだが、この通りがいわゆる昔ながらの盛り場で今なお往時の雰囲気が濃厚に感じられる街並みだった。

百聞は一見である。
いきなりこんな豆タイル物件が登場して腰を抜かしそうになった。

そしてこのアパートである。
何ということだろうか。非常に由々しき事態である。

布施新地が「赤」なのに対し、この通りは「青」だったという噂もある。

なるほど、そういう視線を向ければ色んなことが秒で理解できた。

そんなものはまだ序の口だと言わんばかりに、次から次へといかがわしい建物が目の前に現れる。

元商店だろうか。何か完成された芸術作品を目の当たりにしているかのようだった。
サビの風合いひとつ取っても完璧なまでの美しさである。

これとかどう見ても「クロ」にしか見えない。
かつては階上で別の商売が行われていたのだろう。

数多の男たちの役に立ち、静かに天寿を全うしたに違いない。
そんな建物にシンプルに謝意を告げたくなった。

そしてここでも発見した。先ほどとは色違い。
筆者はこの手の専門家ではないので存じ上げぬが、この違いは業態によるものなのだろうか。

なおも散策は続く。

普通の路地裏に感じるこの強烈な魔窟感よ。

そして最後のブロックに差し掛かった。
本当に面白いのはここから先だということを、この直後に知ることになる。

(2ページ目へ続く)

コメント

タイトルとURLをコピーしました