岐阜市の観光名所を尋ねられたら、筆者は真っ先に「国際園」や「繊維問屋街」、さらには「柳ヶ瀬商店街」を推すがこのレコメンドが刺さる層が実際のところマイノリティであることはよくわかっている。
万人受けしそうな模範解答となれば、おそらく金華山&岐阜城、長良川の鵜飼がその名を連ねるであろう。
一度鵜飼を生で見てみたかったこともあり、シーズンが終わる最後の最後に滑り込みで申し込みをした。昨年の話である。
鵜飼観覧船乗り場がある長良橋へは、岐阜駅から北へクルマで約10分。
船溜まりを横目に、予約の時間までまだ幾分あったのでひとまず観光へと洒落込むことにした。
きっかけはる○ぶ
もう数年前の話になるが、以前本の整理をしたときに10年ぐらい前の岐阜県版るるぶが出てきたので処分する前にぱらぱらと眺めてみた。
白川郷を筆頭に、飛騨高山、郡上八幡、美濃、馬籠宿、岩村、下呂温泉・・
この本を買ったときは名前すら知らなかったであろう場所に、ずいぶんたくさん行ったなぁ。
感慨にふけりながら岐阜市の頁をめくったところで、はた、と視線が止まった。
何だこれ?
そこには、「川原町」と言う名の古い町並みが紹介されていた。
川原町?初めて聞いたぞ・・
その日から、いつか行かねばならぬと思っていたその川原町は、鵜飼観覧船乗り場のすぐそばにあると言う。
ならば、鵜飼とセットで見るのがよかろう。
これが、この日のプランに至った事の顛末である。
なお、これまた近年知った話で、温泉好きを自認する筆者としては痛恨の極みと言っていいほどであるが、鵜飼乗り場がある長良川の川畔に『長良川温泉』なる温泉街がある。一応日帰り入浴もやっていて、まち歩きのあとに入りに行ったが長良川を眺めながらなかなか優雅なひとときを過ごせるのでオススメである。
そんなわけで川原町さんぽ
何てことはない。鵜飼乗り場の目の前が「川原町通り」。
すなわち川原町のメインストリートである。
実は川原町という地名はない。
湊町・玉井町・元浜町、この3地域にまたがるエリアを「川原町」と呼ぶのだそうだ。
歩き出すと、昔ながらの日本的家屋が良好に残っていることにすぐに気がつく。
さながら町並み保存地区のようである。
建物を観察してみると、普通の民家に混じって歴史のありそうな老舗やリノベ系カフェなどが軒を連ねている。
岐阜銘菓「登り鮎」の老舗、玉井屋さん。
約120年前の土蔵を「曳家(ひきや)」なる伝統工法で80m移築し、さらに「土壁」を現在の工法で再現して誕生した『時季の蔵』
わざわざ土壁にしたというのが素晴らしい。
川原町の歴史
昔ながらの町家がこれほど残っているとなれば、一体どんな歴史をたどって来たのか気になるのが人情ってものである。
これは、岐阜の歴史と大いに関係があるのでそのあたりも含めて紐解いて行ってみよう。
岐阜は城下町である。
金華山の山上にある岐阜城は、戦国時代に斎藤道三が整備し、その後織田信長が本拠地にしたという歴史がある。
金華山の麓には城下町が整備され、当時はこのあたりが岐阜の中心であった。だから古い町並みが今でも残っている。
これが第一の理由である。
もうひとつは、長良川の水運である。
当時は川が物流を担っていた時代。長良川上流の木材や美濃和紙を荷揚げする港がこの地にあったのだ。
川原町は材木問屋や紙問屋が立ち並ぶ、いわゆる問屋街として栄えたのである。
幸運なことに、このエリアは戦時中の空襲から奇跡的に逃れており、それ故こんな古い建物が軒並み残っているというわけだ。
余談だが、川原町の南側にあたる、もう少し広い範囲での金華山の西麓を見渡して見ると、古い町家が結構たくさん残っているそうだ。
次に岐阜に行くときに、ゆっくり歩いてみようと思う。
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コメント
あけましておめでとうございます
意外と素敵な町並みでしたね。
コロナも早く収束してほしいものです。
あけましておめでとうございますm(__)m
気持ちよく歩ける町並みでしたね〜。岐阜方面に行く機会があれば、、是非!