日本の近代化に貢献しまくった大鉱山「生野銀山」と生野の町並みを眺める

兵庫県
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兵庫県北部の但馬地方には、日本有数の鉱山として知られる生野銀山(いくのぎんざん)がある。
このエリア自体が鉱山として有名で、以前「明延鉱山」の話を書いたがとりわけ最も知名度が高いのが生野銀山である。

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日本の近代化を支えた生野銀山

生野には過去何度か来ていたが、アクシデントに見舞われ続けことごとく銀山まで行けなかった。
これはもう何かの呪いなんじゃあるまいか・・

不安とお守りを胸に今年2月、ようやく現地へ行くことが叶った。
感無量だった。

生野銀山は、佐渡金山や石見銀山、足尾銅山あたりと比べたら知名度は下がるかもしれないが、紛れもなく日本の近代化の礎を築いた優良鉱山だった。

そのあたりのことを学ぶために、まずはこちらの「鉱山資料館」へ立ち寄ろう。

生野銀山は大同2(807)年に開坑し、昭和48(1973)年の閉山まで約1200年に渡って採掘された非常に長い歴史を持っている。

明治元年(1868)にはなんと日本で初の官営鉱山となり、明治政府肝いりで開発が進められた。
明治29年に三菱合資会社(現三菱)へ払い下げられ、以降は三菱を経営母体として閉山まで稼働した。

坑道の総延長は350km以上、深さは880mにまで達しており、その途方もない規模感はまるでアリの巣のような模型を見ると一目瞭然である。

燦然たる歴史の一端は、全長約1kmの観光坑道でその真髄を拝むことができる。
近代と江戸時代の坑道を同時に見学できる、生野銀山の目玉スポットである。

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観光坑道へ

早速坑道内部へと歩を進める。
年間通じて気温約13度の坑内は夏だと涼しいだろうが時期が時期だけに外気とほぼ変わらなかった。
と言うか普通に外のほうが寒かったと思う。

入ってすぐが江戸時代採掘ゾーン。
これはもう全国どこも一緒だが、鉱山と言えばリアルなマネキンである。

ここまではわかる。

生野がすごいのは、このマネキンたちに名前を付け

”超スーパー地下アイドル”「GINZAN BOYZ」

というユニット名で世に出してしまったことだ。

 

商魂たくましいと言うか何と言うか・・
たださ、ひとつだけ言わせてもらいたい。

どう見ても「銀杏BOYZ」のパクリやん。。

 

筆者的には銀杏BOYZよりはゴイステ(GOING STEADY)のほうが青春ど真ん中だけど。
ゴイステの「BABY BABY」はホント名曲だったよな・・学生の頃よう聴いたわ。

(YouTubeにあるかな・・お、あったあった)←もちろん再生した

と、この「GINZAN BOYZ」とか言う謎のアイドルユニットのせいで思考がどんどんあらぬ方向へ脱線していってしまったw

すんません、話戻します。。

江戸時代は「狸堀」と言う人一人分の穴を這いながらノミで掘り進んだわけですな。
その気の遠くなるような労力に感服。。

途中の熟成庫では、但馬地方の酒をじっくりと地下で熟成中・・

売店で売ってたんだけど、同じ銘柄なのにプレミア価格になっていたので購入は見送りましたw
元手はタダなのにいい商売だな、と・・

別の場所ではワインも熟成中でした。

実際のところ、味の変化は舌が貧しい筆者には分からないだろうな・・それだけは自信あるw

 

奥へ進むと近代採掘ゾーンへ。

江戸時代の鉱夫がこれ見たら目を丸くするだろうな。

生野は“銀山”となっているけど、採掘した鉱石は実に約70種を数えている。
江戸時代初期に銀の産出量が漸減し、中期以降は銅や錫の産出が増えている。

閉山に至ったのは鉱物が枯渇して品質が悪化してきたことや国際競争で価格が低迷したことなどが理由のようだ。

加えて、坑道が長くなりすぎて採掘コストがかかるようになったと。
長い歴史を誇った生野銀山も、最後はこの長さに首を絞められる格好となってしまった。

捲揚ドラム

ちなみに現在はと言うと、三菱マテリアルが錫の精錬で操業を続けている。
産業そのものが完全に停止したわけではないようだ。

奥まで行ってぐるっと回るように戻ってきて、最後にもう一度江戸時代ゾーンを通る。

せっかくだから銀山BOYZのご尊顔でも拝んでから帰りましょうかね。

 

・・・。

 

あかん・・これはじわるw

こちらは江戸時代の測量技師。

十~十五歳の鉱夫を「手子」と呼んだそうな。

今じゃ確実に労基法抵触案件だわな。

いつの時代も役人は偉そうですな。
一度ホコリまみれになって一緒に働いてみたらどうかね?
そしたら庶民の気持ちも分かるでしょうよ。

ちょうど1時間の探検を終えて外界へ。
いやぁ、空気が美味い。

最後、おみやげコーナーへ。

GINZAN BOYZのプロフィールは必見です!笑

(2ページ目へ続く)

次は生野の町並み編

コメント

  1. 定マニア より:

    これはなんぞ?は、洗濯機ではないでしょうか。後ろにあるミツワ石鹸は洗剤かな?ここから話は逸れますが・・・ミツワ石鹸のテレビコマーシャルで(私は観てない世代)♪輪、輪、輪〜輪が3つという歌詞があるそうですが、私は今まで「星降る街角」のカド、カド、カドとか輪が3つの掛け声は、ミツワ石鹸のコマーシャルから来ていると思っていた。下ネタだったんですね。知らなかったです。四角い方の洗濯機は、絞り器はついてないのかな?ハンドルが見当たりませんが。

    • machii.narufumi より:

      これが洗濯機ですか・・?
      最初綿菓子機かと思ったんですが、この時代にあるわけないよな、と(笑)

  2. 定マニア より:

    http://edu-kakamigahara.com 洗濯機の歴史

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