蕎麦の本場、長野県で最も有名なのは何と言っても日本三大そばと称される「戸隠そば」。
まさにキングオブ蕎麦の異名を欲しいままにするこの戸隠は、長野市の北西部、新潟との県境にも近い高地に位置する。
平成29(2017)年、戸隠神社の宿坊群を中心とした門前町が「宿坊群・門前町」の種別で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定された。
今日はこの門前町を歩いてみたい。
標高約1,100m。選定、即日本一高所にある重伝建となった戸隠。
保存地区は、戸隠神社の宝光社・中社の門前町と宿坊群、そして両者をつなぐ神道(かんみち)を含んだ一帯である。
※正確性を保証するものではないが、日本一高所の座を明け渡した元王者はおそらく祖谷の落合集落(最高所で820m)だと思われる。
戸隠神社の背後にそびえる戸隠山は古来より山岳修験の霊場として崇められてきた歴史がある。
とりわけ戸隠神社は信仰の拠点とも言える場所で、「宝光社」「中社」、そして山中にある「奥社」の三社で構成されている。
宝光社と中社の距離は約1.5km。両者をつなぐ「神道」は森林浴が気持ちいいハイキングコースと言った趣きである。
・・熊出没注意の看板さえなければの話だけどw
この辺は結構出るんだよね。そう言えば最近飯綱高原で人身事故あったような。(調べてみたら2020年8月でした)
奥社を参拝される方は熊鈴をお忘れなきよう・・
戸隠神社・中社
鳥居の立派さ加減と門前町の規模からして、この中社(ちゅうしゃ)が戸隠神社の中核を成しているのであろうことはすぐにわかった。
蕎麦を食べに来たのか“パワースポット”目当てで来たのかは知らんけど、まぁ人の多いこと・・。
飲食店や土産物屋は華麗にスルーし、早速宿坊群が織りなす町並みを眺めて行くことにしよう。
宿坊とは
あまり耳慣れないのでピンと来ない方もいるかもしれないが、「宿坊」とはすなわち参詣者のための宿である。
古くから山岳信仰の対象とされてきた戸隠には各地に「講」ができた。
それゆえ、団体で詣る戸隠講の信者たちを受け入れる宿坊が必要だったのである。
例えるなら、以前書いた大峯講と洞川の関係に似ているだろうか。
また、山深さで言えば比叡山や高野山にも引けを取らないが、戸隠が両者と異なるところは宗教者以外の人々の生活をも内包している点である。宿坊群に近接して、農民や職人の屋敷が門前町を形成していたと。
これは全国的に見ても稀有なことであるそうだ。
付近を歩くと、豪壮な造りをした宿坊が数多く残っていることに驚かされる。
戸隠信仰の勢い。いかに強大な力を持っていたか。その事実を分かりやすく示しているということだろう。
主屋内に祭殿があったり、宿坊ならではの特徴を備えているようではあるが、機能的には普通の旅館や民宿と変わらない。
つまり、一般客でも泊まれるということ。
純粋に建築物として大いに魅力があるし、今度は泊まりで行こうかな。
夏でもエアコン要らずで涼しそうだし。
茅葺屋根の宿坊は江戸時代からの姿を今に伝える貴重な建築。
それとともに、地割そのものも江戸時代から変化がないそうだ。
特に、宝光社地区に関しては終戦後、昭和45年と二度の大火に見舞われ多くの宿坊を焼失したが地割を維持したまま復興されたと言う。
中社付近はざっと見たので宝光社へ戻ろう。
帰りは神道ではなく舗装された車通りを歩いた。
お庭が素敵な武井旅館。
宿坊の庭園では高地ならではの高山植物もお目にかかれるそうなので、植物好きにはたまらない時間になるだろうと思う。
まぁ・・そんなん抜きにしても素晴らしいの一言に尽きるんだけどw
あと、雪国ならではの「せがい造り」が多く見られるのも戸隠の特徴。
せがい造りというのは、腕木と呼ばれる木材に出し桁を乗せ、深い軒先を作り出す工法。
屋根と一緒に玄関が張り出してるので、生活する上での耐雪性に優れているというわけ。
雪国のコンビニで入口がよくガラス張りの箱に覆われてたりするけど、言ってみればアレもせがい造りの一種なんじゃないかとちょっと思ったり(笑)
こちらの越志家住宅主屋は江戸後期。
戸隠の伝統的建造物は年代的には江戸中期~昭和30年代となるそうだ。
ざっと歩いたところで11時半。そろそろお昼ごはんにしよう。
まぁ、当然ここでは「何を食べよう」ではなくて「どこに入ろう」になるんだけど。
あんまり歩きたくなかったので、宝光社にほど近いこちらの「よつかど」さんに入った。
戸隠そばは、このような独特の盛り付けをする。
ざるの上に5~6束を馬蹄形状に。これを「ぼっち盛り」と呼ぶらしい。
ぼっち飯にぴったりじゃないかw
※「束」の意味だそうです
蕎麦も食べれて満足したところで、さて、と。
それじゃ暑い暑い下界に下りて行きましょうかね。
[訪問日:2021年7月23日]
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