引き続き稲荷山宿をぶらぶらと歩いて行こう。
枡形に立つこちらは元薬屋のようだ。
ちなみに「清明丹」とは目薬のことらしい。
実はこの稲荷山、前々回の須坂で歩いた谷街道の起点だったりする。
何なら、松代~須坂~小布施と今回の旅で歩いたほとんどのまちをこの街道が通っている。(たまたまですw)
旧醸造蔵。
「白こうじ製造元」と書かれている。
枡形から北へ。
こちらの蔵造りも元商家でしょう。
稲荷山宿の町並みは、現在の地名で言うと北から「荒町」「中町」「横町」「八日町」となっている。
ざっくり、枡形の北が中町、南が横町となるようだ。
中町に残る、稲荷山屈指の土蔵造りが明治10年に建てられたこちらの建物。
県下屈指の呉服反物商として、往時の姿を今に残している。
なお、看板の下に水路が見られるが、これは稲荷山城の堀跡だそうだ。
先の掘割は荒町と中町の境界でもあり、このあたりはもう北端の荒町。
荒町の見どころはこちらの「稲荷山宿蔵し館」。
幕末~明治期に生糸を取り扱った「カネヤマ松源製糸」の建物を修復した資料館で、中は有料で見学が可能。(時間なかったので入らなかった)
なんと、かぶと造りの屋根まで見られるとは。
そして荒町の中でもひときわ異彩を放つのがこちらの旧料亭「松葉屋」。
見どころは何と言っても四段蛇腹になっている屋根部分だろう。
昭和14年まで料理店を営んでいたこと、当時は常に三味線の音が聞こえていたことが案内板には書かれていた。
いや、今でも聞こえてきそうな雰囲気あると思う。
最後に、枡形の西側に並行する「たまち蔵道」を歩いて稲荷山散策を締めようと思う。
その名のごとく、土蔵が集積したフォトジェニックな通りとなっている。
往時の繁栄が伺えると言うもの。ここは忘れずに歩きたいところである。
善光寺街道と谷街道の結節点として賑わい、現在も宿場町、そして商都としての名残を残す稲荷山宿。
蔵のまちなみは、今後どのような変化を見せてくれるのか。
10年ぐらい経ったら再び足を運んでみたいものである。
[訪問日:2021年7月24日]
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