前回に引き続き高砂市の話を。
山陽電車の曽根駅から北西に300mほどのところに「曽根駅前総合市場」という古めかしい市場がある。
※曽根駅はJRにもあるのでお間違えのないよう
高砂スーパーセンターから西に1.5kmほどと、両者は歩いても行けるほどの距離である。
曽根駅から北へ真っ直ぐ行くと曽根天満宮に行き当たるが、総合市場はこの天満宮の斜向いにある。
駅近にも関わらず、広々とした駐車場完備で訪問者に優しい。
なお、漢字については江井ヶ島綜合市場同様、正しくは“綜合市場”となる。
一見してでかいスーパーのように見えなくもないが、ところがどっこい。
それが全然違うのである。
中に入ってみるとすぐにわかる。
入ってみるとそこは屋根に覆われた通路。
惣菜屋と果物屋が営業していたが、その先の角を曲がって唖然とした。
うわああああぁぁぁぁぁ
そう来たか…。
この展開は予測不可能だった。
いわゆる通路部分をアーケードで覆った商店街ではなく、全体を屋根で覆ってしまったようなスタイル。
外からでかいスーパーに見えたのはそのせいである。
現役店があるのは入口付近だけで、奥へ行けば行くほど廃墟じみた雰囲気が漂ってくる。
率直に言って末期だった。
正直、商店街として成り立ってるのかどうかも怪しかったが、昔からの固定客に支えられて生きながらえているのだろうと推測。
反対側(西側)へ抜けた。
こちらにも駐車場がある。
全盛期はさぞ繁盛していたことだろう。
さて、この「曽根駅前綜合市場」は一体いつ頃出来たのだろうか。
国土地理院の航空写真から調べてみたところ、
昭和45(1970)年:ない
昭和48(1973)年:ある?(市場の形は認められる)
昭和50(1975)年:ある(屋根の形がはっきり分かる)
のような結果だった。
おそらく、1973年のは造成中 or 建設中だったのではないかと。
という訳で、2023年時点でちょうど50年ぐらいと言うことになろうかと思う。
言うなればほぼ昭和後期の開業である。
それがこうなるというのはさすがに驚きを禁じ得ない。
一度外に出てみた。
北側、唯一道路に面した側にも屋根がついていた。
ちょうど高度経済成長期の終わり頃に建てられ、バブル期を経て、平成、令和と時代を紡いできた。
単に個人商店ではスーパーや大型店に太刀打ちできなくなったのが理由だとしても、まるでこの50年間の日本経済の変遷を投影したかのような姿に何とも考えさせられるものがある。
できればずっと残り続けてほしいが、それは叶わぬ願い。
昭和の市場は、今後もゆるやかに、しかし確実にその数を減らしていくことだろう。
通路は二本あり、中央付近で繋がっている。
すなわち「H」字である。
高砂スーパーセンターもそうだったが、このエリアではこれがトレンドだったのだろうか。
かつては賑わいがあったであろう通路。
この看板ひとつとっても、きっと数えきれないほどの物語が染み付いていることだろう。
黄色いランプシェードが可愛い。
今は見なくなった「荒物」の文字。
果物屋さん。奥側、道路に面しているのが惣菜屋さん。
曽根駅前総合市場はここまで。
続いて市場の裏側へ。
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