近江商人発祥の地、五個荘。白壁と掘割が美しい農村集落のことをもう少しだけ紹介したい。
ところで、近江商人を語る上で外せないものに「三方よし」という精神がある。
d(´∀` )右よし( ´∀`)b左よし(・∀・)p逝ってよし
近江商人、なかなか厳しいことを言う・・
冗談です。。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」
要するに買い手とWin-Winの関係を築いて、結果的に社会貢献になるのが一番いいよね、という崇高な精神のこと。
金儲けや地位のためだけに会社興すような世の中のクソ社長の耳の穴かっぽじって聞かせてやりたいぐらい素晴らしい。(乱文失礼)
中江準五郎邸
さて、三番目の商人屋敷は中江準五郎邸。ここでは世界を股にかけて活躍した近江商人の足跡をたどることができる。
明治38(1905)年にこの地で創業した三中井(みなかい)呉服店は、三中井商店として韓国への進出を皮切りに満州や中国大陸で店舗を拡大し続け、昭和9(1934)年には三中井百貨店に改称。
戦前、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで東アジアを席巻した日本発の百貨店が生まれたのが、他ならぬこの場所なのだ。
その辺のことはもちろん中に書いてあるし、ここでも懇切丁寧なおっちゃんの解説で色々勉強になった。
ちなみに、三中井百貨店は大戦ですべてを失い消滅した。一時期、当時国内最大手だった三越よりも売上が多かったというから、もし大陸に進出していなければ、その商才を国内で使っていれば、今でも三中井百貨店は存続していたかもしれない。
三中井百貨店亡きあと、中江家は煎餅屋を開店。のちに洋菓子屋になり、彦根に進出したという。
で、その洋菓子屋は今でもキャッスルロードで営業しているらしいのでここと併せて訪れるといいかもしれない。
蔵の中には郷土玩具の小幡人形と全国の人形を展示した常設展があった。興味のある方はどうぞ。
最後に金堂まちなみ保存交流館へ寄ってみた。今いる「あきんど通り」が、五個荘で最も趣のある通りだと思う。白壁と蔵屋敷、板塀が織りなす景観は必見。
筆者がバイブルとしている『日本の町並み250』という本の表紙になっているのが、実はこのあきんど通りだったりする。
そんなところでもやはり滋賀県名物飛び出し坊やは健在。
金堂まちなみ保存交流館
三中井百貨店を経営した中江4兄弟の、三男の邸宅がここ。現在はまちなみ保存会が維持管理しているとかで、どんなとこだろうかとちょっと見てきた。
ここもまた、外村邸と同じように質素を基調とした内部。庭園があるのも共通していた。
地元のおじいちゃんおばあちゃんが集まって楽しそうに歓談していたのが印象的だった。
階上には金堂地区の模型が展示してあった。これを見れば田園地帯につくられたまちというのがよくわかる。
五個荘・金堂地区。
郷土愛に満ちた近江商人の気質と暮らしぶりが凝縮されたような素晴らしい町並みだった。
そんな近江商人のふるさとに、是非とも一度足を運んでみてはいかがだろう。
[訪問日:2016年7月28日]
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