猫窓フォーエヴァー…追憶の楽園「金沢・石坂遊郭跡」を訪ねて

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金沢には、観光名所にもなっている「ひがし茶屋街」「にし茶屋街」というふたつの花街がある。
そして、以前触れたとおり、ひがしには「愛宕」、にしには「石坂」という庶民向けの遊郭が隣接していた。長年行きたかったこの石坂に、ようやく足を運ぶ機会を得た。

ひときわ目につく洋館、にし茶屋街の検番事務所の角を西に折れる。すると、程なくして小さな橋が現れる。ここが結界への入口、かつての思案橋であろう。

思案する事案などないので迷いなく歩を進める。

石坂というのは昭和38年までの旧町名で、現在は「増泉1丁目」という住所になっている。地元民には「いっさか」と呼ばれていたそうだ。

芸妓の顔面よろしくゴッテゴテにメイクされたようなにし茶屋街の上品な街並み。
そこから思案橋までは、誇張でも何でもなく徒歩1分である。

そんな至近距離にこのスナックの多さはどうであろう。
すでにこのエリアが普通の街でないことを示唆している。

石坂は、戦後は赤線地帯として存続していたが、晩年には勢いに翳りが見えていたようである。

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そして裏名所へ

おなじみ、昭和30年の『全国女性街ガイド』では石坂について以下の記述が見られる。

赤線の代表は、駅から二十分の愛宕で三十六軒に百八十四名いる。昔、有名だった石坂遊楽園はさびれ、最近は香林坊裏の青線が発達し、ハモニカ長屋のような屋根裏で泊り千円ほど。

と、売防法直前にはすでに栄華は過去のものとなっていたようだ。ちなみに、香林坊裏の青線とは先日書いた新天地のことである。

特飲店の多くがスナックに転業したのであろうことが、付近を歩くとよくわかる。
その一方で、赤線時代の名残をとどめるモザイクタイルを設えた建物がよく残っているのも石坂の特徴となっている。

色街歩きを愛してやまない動機が、このタイル張りへの心酔であるという者は多いと思う。
もちろん、筆者のそのうちの一人であることを否定しない。

石坂は、事情を解せぬ者の目には「なんかスナックが多い住宅街」ぐらいに映るかもしれない。しかし、実は連れ出しが可能な…という噂をよく耳にする。

自分の目で確かめたわけではないので名言は避けるが、どうにも信憑性は高そうな気がする。

時代とともに形を変えども、なるほど街の系譜は脈々と受け継がれているのだろう。

下宿のような趣きのアパート。あるいは転業の類かもしれない。
結界の中では、どうも視覚にピンク色のフィルターがかかるのが常である。

朝から容赦なく降り続いた雨も、ここへ来る頃にはいつしか上がっていた。
街の澱んだ空気を洗い流す禊の雨だったのだろうか。

一体どこからどこまでが聖域だったのか。目当ての建物はあれど、場所はどこなのか。
不十分すぎたリサーチが裏目に出て闇雲にさまよう羽目になったが、本来であればそれこそがまち歩きの醍醐味。たまにはこんな日も悪くない。

保存され、整備され、人々から礼賛されるにし茶屋街とかつては同胞であったはずの石坂遊郭は、どうひいき目に見ても寂れ、惨憺たる現実を露呈していた。

栄枯盛衰を思いながらたどり着いた先が、石坂で最も濃いエリアに他ならなかった。
まさに見たかったのがここだったということを、細い路地を抜けた先で理解するにいたった。

それは、どこまでも優しい色彩を放つモザイクタイルだった。

(2ページ目へ続く)

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コメント

  1. maru より:

    あの有名な建物もなくなりましたか~!
    いろいろ事情があるから仕方がないかもですね。

    • mast-mo より:

      いやぁ、でもこれは結構ショックですよね。
      最後に見れて本当によかったです。