名古屋色街カルテットその4『名楽園』

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あれは忘れもしない、2013年8月。
遊郭や赤線というものを何となく知るようになってから、初めて明確な自分の意志で足を運んだ場所が「名楽園」こと、名古屋の中村遊郭だった。

あの日の衝撃をもう一度、そしてあの頃の未熟な自分では決して知り得ることができなかった諸々のことを掴み取るために、2年半近い歳月を経て再び現地へと赴いた。

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元旦の朝8時。名古屋屈指のオフィス街、丸の内は無人駅と化していた。
そこには遊郭跡を見に行く男がただ一人。なんというシュールな光景であろうか。

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中村区役所駅から西へ。中村遊郭跡は東山線の「中村日赤」のほうが若干近いが、やはり大門から“登楼”しなければ気分が出ない。そのための選択である。

というわけで、まずは場所からご説明しようと思う。

現在で言う、この漢字の「甲」のような形をした整然な区画が旧中村遊郭。今いる大門は突き抜けた縦棒の下端。
四隅にぴろっと出た斜めの線は、廓の中が見えないように作られた路地だと言われている。

日吉町、寿町、大門町、羽衣町、そして賑町。当時の町名が今もなお残っている。

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ではまちなみを見てみましょう

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結界の内部に入ると、真っ先に目につくのがど真ん中にあるこのスーパーマーケット。ピアゴ中村店。遊郭時代はこの場所に組合事務所があったそうである。

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まず、ざっくりと現在の街並みを眺めながら歴史の話をしていこうと思う。

中村遊郭の開業は大正12(1923)年4月1日。大須にあった旭廓が移転してくる形で成立した遊里であった。江戸の吉原を凌ぐ、約32000坪という途方もない敷地でこれは日本一の遊郭とも言われている。

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ちなみに移転当初はまだ一部では「旭廓」と呼ばれており、『全国遊廓案内(昭和5年)』には「名古屋市旭廓」の名で記載がある。
同書によれば、貸座敷139軒、娼妓は1,650人いたという。全盛期は昭和12年頃で、娼妓約2,000人。吉原、洲崎には及ばないものの、遊興代の高さをはじめ、豪華さでは日本一と謳われていた。

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時代は下り、戦時中は軍令により多くの妓楼が寄宿舎として接収され、営業が制限された。
戦後になると、「名楽園」という名で特飲街を形成。なお、名古屋には「港陽園」「八幡園」「城東園」と、ここ名楽園を含め有名な赤線が4ヶ所あった。

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昭和33(1958)年の売防法施行後は、旅館やトルコ、飲食店などに転業。
トルコは現在も特殊な浴場として数軒が残っている。全体的に当時の遺構の数はそんなに多くないが、戦災の被害が少なかったため豪華絢爛な妓楼の一端を今でも垣間見ることができる。

これについてはまたのちほど。

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すっかり習慣化してしまった電柱チェック。当時の町名とか新地時代の呼び名なんかが残ってることがあるけど・・、ここまで直球勝負だったのは初めてです。えぇ。

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右奥の路地が、廓の中が見えないようにこしらえた例の斜めの道。
北東側、日吉町の様子。

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同じく、南西側(賑町)。
ざっと外郭を見てきたので、そろそろ遊廓、赤線時代の遺構を眺めて行くことにしようと思う。

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大門通りの北端にもアーチが架かっていた。
ちなみにまだ何も知らなかった2013年は、これを普通に「だいもん」と読んでいた。
確かそのとき脳内では浜松町そばの「大門」を思い浮かべていたような気がする。

…そんな時代もありました(・ω<) テヘペロ

(2ページ目へ続く)

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コメント

  1. mura より:

    mast-mo様
    いつも拝見しております。
    私も今から10年くらい前、長寿庵をチェックしに訪れたことがありますが、まさかこうなるとは。重要建築物に指定されていても保存は難しいんですね。
    ところで記事を見て、思い出したことがありまして…。
    長寿庵をチェックして名古屋駅に向かおうと、夕暮れ賑町あたりを歩いていたら、道端に座っていたオバサンから「お兄ちゃん、遊んでいかない?」と声をかけられました。新幹線の時間が迫っていましたので、無視してしまいました。
    現在はわかりませんが、周辺には「青」的なモグリの店もあったんですね。

    • mast-mo より:

      mura様
      いつもありがとうございます。
      解体の経緯は私もよくわかりませんが、所詮市が定めたものゆえに保存の義務はなかったんじゃないかと思います。。
      10年前、賑町、ポン引きですか・・非常に興味深いお話です。もしかしたら今でも夜になればそのようなことがあるのかもしれませんね。