九州の小京都!飫肥城下町を歩く

この記事は約4分で読めます。

宮崎県日南市にある、伊東藩五万一千石の飫肥(おび)城下町。

江戸時代の町割りが今なお残り、その風情から「九州の小京都」と呼ばれるエリアを歩いてきた。

スポンサーリンク

飫肥ってどんなところ?

日南市のほぼ中央、沿岸からちょっと内陸部に入ったところ。
安土桃山時代、伊東祐兵(すけたけ)という大名があの太閤秀吉から領地を与えられたことで、城下町の整備が始まった。
以後、廃藩置県で廃城となるまで一貫して伊東氏の支配が続いた、という場所。

というわけでやって来ました飫肥城下町。でまぁ、これ実は去年の元旦の話だったり。
道の駅フェニックスで初日の出を撮ってから向かったので着いたのは朝の8時半。

スポンサーリンク

まち歩きスタート

観光駐車場に車を停め、颯爽と城下町へくり出す。

さすがにこんな日のこんな時間だけあって、ガイドさんやスタッフもいなければ観光客もほぼ皆無。もちろん施設も開いてない。でもこの非日常感がいいんです。

伊東祐正家

ここ意外と盲点なんだけど、長期連休で観光地が混雑しない唯一無二の期間が年末年始。
夏より冬のほうが歩きやすいし、帰省なんてずらせばいいんだし。みんなもっと旅に出たらいいのに。正月はいいぞ、正月は。

さて、で、こちらが「小村記念館」。

明治期に外交官として活躍した小村寿太郎、実はここ飫肥の出身だそうで。
日本史が好きな人はよく覚えてるでしょう。関税自主権を勝ち取った人ですね。

飫肥城の大手門さんもさすがに正月休み。

この城は明治初期に石垣以外すべて取り壊されてしまい、その残った石垣に合わせて昭和53年に復元されたのがこの大手門。

大手門の先は武家屋敷通り(横馬場通り)。

なかなか厳かな雰囲気だけど、新年早々こんなに天気がいいと小躍りしてステップでもきめたくなってくる。
↑江戸時代なら絶対斬られてる

で、これが寿太郎の生家。父親が藩士だったんですね。

サクサク行きましょう。

この洋館は大正15年築の『旧飯田医院』。
昭和後期の頃まで病院として使われていた建物。

現国道222号がかつての商人地。「本町商人通り」の名で呼ばれる道の両サイドには、古い商家が点在している。

旧高橋源次郎家

で、飫肥城から本町商人通りにかけてのエリアが昭和52年、九州で初の選定となった重要伝統的建造物群保存地区の範囲。

全国でも岡山県の吹屋と並んで8番目という早さ。

と、今度は「小村寿太郎生誕地碑」なるものが。生家とは別の場所に。

記念館もあるし、推しメンなのはわかるけどちょっとアピールしすぎな感が・・

旧山本猪平家

飫肥の商人、山本猪平が明治40年頃に建てた商家の本宅。

あ、ここ普段は一般公開してるので興味ある方はどうぞ。

商人通りで最も目立つ建物がこの「商家資料館」。

江戸時代風の商人宅を資料館に改装したもので、飫肥の商人たちが使用していた道具類を展示してる施設。

商家資料館の先、本町橋から。

飫肥城は平山城だけど、地理的には河川に囲まれていておそらくこれらが外堀の役目を担ったんだろうと思う。

駐車場に戻る途中、「鯉の遊泳地」なる立て看板を見つけた。

昔の城下町のようなところで、掘割に鯉を放っているところって割と結構あって。

滋賀の五個荘、山口の津和野、あとは最近書いた竹田とか。

その、鯉が泳ぐ後町通り。石垣が美しくいかにも武家町って感じの風情がよき。

こんな建物もあった。公民館だけど昔は何だったんだろうね。

藩主の屋敷や藩校など、“この日”でなければ見れるところももう少しあったけどまぁこんなもんで充分。

飫肥城下町。そんなに広くもなく、歩いて回るにはちょうどいいサイズ感だった。

おしまい

[訪問日:2018年1月1日]


コメント

タイトルとURLをコピーしました