「遠野物語」で知られ、“民俗学の父”と呼ばれる柳田國男は、兵庫県は福崎町辻川の出身である。
今も古い町並みが残され、観光スポットとして整備されている同地区をぶらぶらと歩いてみた。
「辻川観光交流センター」の駐車場から散策スタート。
この福崎町、柳田國男にちなんで妖怪で町おこしをするというかなり振り切った路線を突き進んでいることで知られている。
駅前をはじめ、リアルに街中いたるところで妖怪に出会える。
ゆるキャラが群雄割拠する昨今においてかなり異色な存在だと言える。
と言っても、筆者は柳田國男のファンでもなければ妖怪が好きな訳でもない。
この日福崎にやって来たのは、以前たまたまこのあたりをクルマで通過したときにとある建物に目が釘付けになり、帰って調べてみるとこの地にまつわるあれこれが芋づる式に出てきて
「あー、これは今度行かなきゃダメだわ。。」
となったのが事の真相である。
こういうことはときどきある。
目的の場所へ向かう途中、大庄屋だった「三木家住宅」の前で足が止まった。
首尾よく開館日だったので見学していくことにしたが、ひとまず最後に回すことにした。
お隣はNIPPONIAさん。
福崎にまで進出していたとは…。
理念はすごく共感できるんだけど、いかんせん価格帯がお高めでしてね。。
改修に費用がかかるので仕方ないんだろうけど、そんなこんなでまだ一度も泊まったことがなかったり(笑)
で、そのお隣がここへ来た動機になった「旧辻川郵便局」。
大正12年に三木家の9代当主によって建てられた元郵便局舎。
もともと三木家住宅の西側にあったものを、平成31年に今の場所へ移築したそうだ。
現在は1階が「妖怪ブックカフェ」として利活用され、2階はNIPPONIAの客室として稼働している。
ちなみにカフェは15時までなので注意されたし。
あとで来てみたら扉には無情にもCLOSEDの文字が。。
旧辻川郵便局の裏手にある「もちむぎのやかた」。
福崎町は全国的に有名なもち麦の産地で、ココでは町の特産品である「もちむぎ麺」の製造販売を行っている。
もちろんレストランと売店も併設している。
ので、ここらでお昼ごはんと相成った。
麦とろ定食頂きました。
美味しかったのでもち麦もお買い上げ。
白米に混ぜて炊飯器で炊けるので楽ちんですよ。もち麦ごはん、美味です。
辻川山公園で河童に出会う
「もちむぎのやかた」のそばにある辻川山公園に柳田國男の生家が残っているが、この公園、河童が出没することで有名。
町内の妖怪関連では最もガチなスポットではないかと思う。
柳田國男の『故郷七十年』に登場する河童のガタロをモチーフにした河童兄弟、兄の河太郎(ガタロウ)と弟の河次郎(ガジロウ)がここに住んでいる。
河次郎は普段池の中にいて、決まった時間にこんな感じで水中から飛び出して来る。
これがあまりにリアルすぎて子どもがギャン泣きすることで有名になったらしい(笑)
河太郎のほうは池のほとりにいる。
皿の水がなくなって動けなくなってしまったという設定らしく、また動くかもしれないので皿に水をかけないでくださいと案内板には書かれている。
まぁ・・そう書かれたらやるよね(笑)
妖怪のブロンズ像がそこかしこに設置されているが、可愛さを容赦なく切り捨てた造形にある種の清々しさを感じる。
妖怪で町おこしと言えば他には鳥取・境港の「キタロード」があるが、あそことは一線を画している。
柳田國男生家
さて、こちらの茅葺屋根が柳田國男の生家である。
もともと街道沿いに面していたが、昭和49年に現在の場所に移築されたそうだ。
『故郷七十年』には「私の家は日本一小さい家だ」の一節が出てくると言う。
いや、全然小さくないと思うけど…w
日本一小さい家である(と思う)ことが、民俗学への志の出発点になったとも同書には記されている。
ちなみに出生時は松岡姓になるが、この松岡家の兄弟4人も医学や国学など様々なジャンルで全員大成しているという何気にすごい家系だったりする。
柳田國男像
神崎郡歴史民俗資料館(旧神崎郡役所)。
明治19(1886)年に建設された建物で、昭和57年に辻川山公園へ移築復元された。
なんとなく食指が動かなかったので中には入らず。
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