江戸末期、現在の秋葉原駅付近に「講武所」があった。
講武所とは江戸幕府が設置した武術の訓練所のことである。
講武所が廃止された後、付近に芝居小屋ができたことで芝居客目当ての茶屋が増え、やがて花街へと発展した。
先述した由縁から、講武所芸者と呼ばれていた。
その、今は亡き花街の名残を求めてやってきたのが、神田明神の名で知られる神田神社。
正月だったので初詣客でエラいことになっていたが、こんな日に違う目的でここに来る変な奴はよもやいないだろう(謎の自信)
神田明神の境内には伊吹山から奉納された「さざれ石」が鎮座していた。
さざれ石って、“日本人が意味は知らないけど知ってる言葉”の筆頭じゃないかと思う(笑)
花街の名残
さて。
講武所花街は関東大震災と太平洋戦争によって二度の焼失と復興を繰り返しながら安定して繁栄を続けた。
秋葉原駅から神田明神あたりと比較的広範囲に渡っていたが、現在でもその名残を色濃く残すのが戦後、その中心だった神田明神の東側。通称「神田明神下」である。
神田明神へと続く「男坂」の途中には、かつて開花楼という三階建ての料亭が立っていた。
ちょうど前回の記事でネタにした島崎藤村が結婚式を挙げたという、なかなかの歴史を持つ料亭だったことが案内板には書かれていた。
現在はと言うと、昔の名前そのまま「開花ビル」となっている。
男坂の上から。眺望がよく、月見の名所だったそうだ。
今は階段だけど、昔は本当に坂だったんでしょうね。
続いての名残は、創業200年を超えるうなぎ屋の「神田川本店」。
かつては芸者を呼べる料理屋のひとつだった。
黒塀が花街情緒を漂わせている。
願わくば一度食事しに入ってみたいものである。
神田川の裏手の路地も風情があってなかなかよい。
先ほどの路地に面して反対側の建物。
「神田川本店車庫」と書いてあるのでこちらも一部なのだろう。
男坂のやや南には「女坂」がある。
男坂よりも細く建物に挟まれているもっぱら抜け道のような雰囲気。
なお、名前の由来は勾配が急なほうが「男坂」、こちらは緩やかだから「女坂」なのだとか。
いや、どっちかと言うと女坂のが急じゃないか‥?w
神田明神と幹線に挟まれて二本の路地が南北に走っているが、最後にこのあたりを歩くと花街の名残と思しき建物が随所に残っていた。
このHama Cafeさんは分かりやすい。
定食屋の「あさ野」
隣もなかなか。
「あら㐂」の屋号のこちらはおそらくしもた屋であろう。
その斜向かいの建物が最も雰囲気があった。
現役の小料理屋さん。
こちらも現役。ちゃんこ屋さん。
神田明神下はネタが古いのでここで書く気はさらさらなかったんだけど、調べてみるとお店や建物もほとんど変化なさそうだったことに加え、ここ数年ぐらいの情報を載せてる人がいなかったので「じゃあ、まぁ…」と記事にすることにした。
東京の花街の話は大塚三業地以来実に7年ぶり。
なんなら東京の記事自体7年ぶりだったみたいで「あーもうそんな経ったのねぇ」となかば他人事のように思ってしまった。
あ、予告しておくと一応次も東京です。
おしまい。
[訪問日:2022年1月1日]























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